第四章


「んで、おい……。なんで俺はヘッドランプ付けてツルハシを担がされてるんだ?」
 開口一番、久之丞は仏頂面で真紀に言い放つ。
「かわいい、かよわい、女の子がお願いしてるのよ? ほら、ちゃちゃと行く」
「かわいいはまあ納得してやる。だがな、か弱いは、嘘吐きにもほどがあんだろが……ッ」
 とかなんとか、文句を垂れつつも久之丞は重たい荷物を持ってくれている。おかげで真紀は、業務用の懐中電灯と静江のファイルの二つだけの荷物で済んでいる。
 こんな洞窟探検にでも行くのかという装備で真紀たちが向かっているのは旧校舎の一角にある施設だ。
 旧校舎の裏手、体育館倉庫よりもさらに奥まった位置にある施設がある。外観から察する場所は旧校舎の地下一階といったところだ。旧校舎に地下教室はないのだが、増築されたときに建物の一部が残されてそのまま旧校舎の土台として使われているところだ。
 錆びついたフェンスの扉には鍵はかかっていない。金具の留め金を外すとすぐに中に入ることができた。真っ暗なのでさっそく懐中電灯を使う。
「ここは戦前からあった旧校舎の部分だったよな」
「そうね。小清水創設時の施設だと……ここは理科室だったらしいわよ」
 線のように鋭い光が暗闇の室内を照らし出す。体育祭用の大道具や演劇部の舞台装置、はたまた汚れたシーツをかぶされた物体が所狭しと並べられている。荷物の間に黒塗りの実験机が設置されているのがわかる。
「そろそろ説明があってもいいんじゃねーか? いったい何を探してる?」
「これから『隔された教室』を見つけるわ」
「……俺が使ってる部屋みたいなやつか? さすがに、もうねーだろ……配線を通すようなそんなスペースぐらいか」
「まあまあ。こいつをちょっと見て欲しいのよ」
 真紀はそういって静江のファイルをばらして実験机の上に並べていく。懐中電灯を据置にして明るい一角をつくりだす。
「こいつは、小清水学園か。古いな……いまから二十年くらい前のやつ、か」
「ええ。二十二年前に旧校舎の大きな改修工事があったそうなの。いま見てもらってるのが改修前の旧校舎の外観と校舎に掛けてあった施設案内図ね」
「いまの旧校舎と比べると教室の配置が違うな。つーか、こんなに変えるなら建て替えろよな……はじめから!」
 久之丞のツッコミは実に的を得ていた。二十二年前にも同じことがあったような気がするのは、気のせいではないと思う。
「同感ね。そして、こっちが改修後の旧校舎よ」
 真紀は取り出したページを机の上に滑らせる。久之丞は改修前と改修後の施設案内図をじっくりと眺める。
「おかしいな」
「……おかしいわよね?」
 真紀と久之丞はぴったりと声を合わせる。
「教室の数が足りねぇ」
「教室の数が足りない」
 改修前の旧校舎には各階八教室あった。しかし、改修後の教室には各階六教室しかない。旧校舎の外観を見比べても規模が縮小された様子はないし、むしろ幅広になったような気すら感じる。
「俺が使ってる部屋も消えた教室の一部だってのはわかった。でもよ、いまの旧校舎と比べてみろよ。消えた教室のスペースはほとんどトイレとかになってるんだぜ? さすがにもう空いてるところはねーだろ……」
 予備知識がなければ久之丞の結論に達するのは必然だろう。しかし、真紀にはもうひとつ情報があった。
「久。いまの旧校舎の三階、それに改修前と改修後の旧校舎の三階をよく見てちょうだい」
 旧校舎の三階は、昨晩に異常現象があった場所。真紀にはその情報を知っていたからこそ『隔された部屋』に辿りつけた。
「私たちが利用してる旧校舎の三階には、教室は五個しか、ないわよね?」
「は? 旧校舎は各階六教室だろうが……っ、いや、……確かに……。第二理科教室、第二理科教室倉庫、第二薬品保管庫、第二実験道具保管庫、理科教室の物置……、五個しかねえ……。丸々一個ぶん教室がねえのかよ!」
 真紀も気がつかなかった。小清水学園には大きな校舎が七棟もあるし、旧校舎なぞめったに来ることはない。言われなければ気にも留めない事実だ。
「でもよ、いくらなんでも気づかねえって……。教室の数が足りなけりゃすぐわかんだろ!?」
「うん。だから改修後すぐの見取り図には教室が六個あることになってる。けどね、ほら」
 改修後から一年後の見取り図には旧校舎三階の教室がひとつ消えている。
「マジかよ……」
 工事関係者の手違い。見取り図をあとから直した人の思い込み。さらに建物の無茶な増改築。これらの要素が合わさって生まれてしまったものが……『隔された教室』ではないだろうか。
「その教室とやらをいまから探すわけか? 固められちまってるんじゃないのか、入り口は」
「そのための、あんたでしょ」
「壁をぶっ壊せってか? 停学になるのは勘弁願いたいぜ……」
「バレないていどにほんの少し壊すだけ。心配しなくてもだいじょうぶよ」
 いまいる旧校舎の理科室は、かつて教室と廊下を境にしていた仕切りがすべて取り払われている。理科室と廊下、階段ががらんどうのフロアに点在しているはずだ。懐中電灯で天井を探っていくと、――あった。コンクリート製の階段が見える。
「あの階段は改修前旧校舎の階段だから。『隔された教室』のすぐ近くまではいけるはずよ」
 階段の入り口には札付きのチェーンがかけられている。真紀は迷うことなくチェーンを跨いで階段に足を掛ける。
「立ち入り禁止と書いてあるな」
「コンクリート製だし、老朽化の心配はなさそうだけどね。踏み外さないでよ」
 唯一の頼りは懐中電灯の明かりのみ。階段の段差を確かめながら一歩ずつ進む。背後にいる久之丞の足元がよく照らされるように気を配ってやる。
 階段は二階から三階へ上がる踊り場付近で壁になっていた。壁の反対側は、見取り図から想像すると第二薬品保管庫のあたりか。
「行き止まり、みてーだな」
「ん、待って。扉がある……けど、鍵かかってるわね」
 銀色のドアノブを回すと、ガチンと硬い金属音が響いた。
「どいてろ」
「ちょ、ちょっと……扉はさすがに無理じゃ……」
 久之丞はツルハシを構えると垂直に振り下ろした。ツルハシの切っ先をドアノブの根元に突き刺すと、力任せに鍵ごとドアノブを引き抜いてしまった。久之丞はドアを蹴り開けた。
 泥のついた年季の入ってそうなツルハシは両手で構えても重量感を感じるものだった。振り回すにはしんどいツルハシを使って小さなドアノブを一撃で狙い当てるのは至難の技だ。しかも、明かりは懐中電灯しかないのに、だ。
「すごいわね……」
「気持ち悪ぃな。褒めるなよ」
 素直に賞賛の言葉を送ったのになんという言い草か。腹癒せに久之丞の隙だらけの腹筋に肘鉄を叩き込んでやる。
「ふん、褒めて損したわ」
 気を取り直して先へ進む。
 扉の先はのっぺりとしたコンクリートで囲われた狭い通路がまっすぐ続いていた。懐中電灯の明かりが届く先は行き止まりになっていてこれより先へ行く道はないのだとわかった。
「まいったわ……。たぶん、ここは昔の廊下よね」
「だろうな。階段の踊り場だと思ったのは、三階だったか」
 イメージしていた旧校舎と異なり、真紀は自分の現在位置を見失っていた。いったいここは旧校舎のどこなのだろうか。場所がわかったとしてもこんな分厚いコンクリート壁をどうやって壊せばいいのだ。
「真紀。どこがあたりだと思うんだ?」
「当たり?」
「だから、な。この壁のどのへんが『隠された教室』なんだ?」
「わ、っかんないけど……、たぶんここの壁は教室を塗り固めたものだと思うから……壁の向こう側に教室はあるはずだけど……」
「つーことは。どこをぶっ壊しても教室にいけるってわけだ――」
 久之丞は悠々と歩き出すと、真紀から距離をとる。無造作にツルハシを振り上げた。
「ええ!? いくらなんでも――」
 コンクリートの壁をツルハシで壊すなんて、むちゃくちゃ過ぎる。できるわけがない。
「おらぁ――!」
 久之丞の振るったツルハシが先端から半ばまで食い込んだ。そして、苦もなく切っ先を引き抜くと追い討ちとばかりに唸りをあげて振りぬいた。硬いプラスチックが割れるような音が響いてコンクリートの壁に鋭い亀裂が入った。これは――。
「コンクリートじゃない。石膏ボード……!」
 隙間なく石膏ボードを貼り付けてつなぎ目が見えないように綺麗に塗装された壁。暗がりでそこまでは気づかなかった。
「どうしてわかったの?」
 久之丞はツルハシを全力で振るいながら答えた。
「っかっかっか。わかるわけねえだろ! 俺は! はじめから! コンクリの壁をぶっこわすつもりだったぜ?」
「あは、は……」
 この男……本物の馬鹿かもしれない。有言実行してしまうところも含めて。
 久之丞は石膏ボードの一枚に刻みつけた亀裂にツルハシを差し込むと、力任せにボードを引っぺがしてしまった。メリメリとボードを剥ぎ取っていくと教室の引き戸が現れる。
 久之丞が使っていた小部屋とは違い、完全にひとつの教室が壁の中に隠れている。
 おそるおそる引き戸に手を掛けると、意外にも、扉は滑りのよくカラカラと開いていった。
 『隔された教室』は、時が止まったような幻想的な空間にあった。
 整然と並べなられた机と椅子。窓際には薄汚れたカーテンが掛かっている。埃のつもった窓際に花瓶が置かれている。黒板には当時の連絡事項……だろうか。美しい字体、優美さを感じられる字体で書いてある。
 ――夏休みのあいだ、旧校舎の工事が行われます。私物は持ち帰りましょう――
 かつて女子高だったという小清水学園。懐中電灯に照らされて浮かびあがる世界にふと見えるはずもない光景が連想される。誰かの夢をみているような光景が刹那に過ぎる。
 真っ白い制服をきた少女たちが笑いさざめく教室。柔らかな日差しが差し込む教室に出会いと別れがあり、楽しさと一抹の悲しみのある日々がフラッシュバックしていく。
 肩を叩かれた衝撃に真紀は現実に引き戻された。
「だいじょうぶか?」
「……ええ」
 眩暈に似た酩酊感を振り払うように頭を振る。今の光景はいったい――。
 懐中電灯を暗がりへ向ける。黒板から窓際のカーテンへ。カーテン沿いに教室の奥へと光を移動させる。光がちょうど教室端の机を掠めた。
 ぎくりと、体が強張る。
 真紀は自分の見たものを確かめるべく、ゆっくりと光を教室端の机に定めた。
「――お、おい……ッ」
 久之丞はいままで聞いたこともないほどにうろたえた声を上げる。
「……ッ」
 真紀も息を呑んだ。
 机にうつ伏せて誰かが寝ている。黒い髪が机に広がり、腕を気だるげに伸ばした姿勢で、制服を着た少女が眠っている。しかし、その素顔はない。
 儚さすら覚える白。袖から覗く指先は枯れたように細く……。教室橋の机には、裾の長い純白の制服をきた女生徒の白骨死体があった。
 ――そこからの時間経過は凄まじかった。
 教師に連絡して『隔された教室』のことを明かすと半信半疑ながら教室を確認され、腰を抜かした教師が警察に通報し、到着した警察にこれまた事情聴取をされ、昼を食べる間もなく現場の案内と説明を頼まれ……――。
 ちなみに、久之丞は教師に連絡する前に抜けてもらいすべて真紀が独断でやったこととした。久之丞は渋い顔をしていたが面倒事まで肩代わりしてもらうつもりはない。半ば強引に久之丞と分かれて真紀は事後処理を引き受けた。
 後日またお話しましょう、と刑事に言われて解放されたときにはすっかり陽が落ちていた。
 サラサラと雨が降る音がする。
 荷物を取りに教室に戻ると真紀は席に崩れるように座り込んだ。雨のせいだろうか。教室はひんやりとした空気が垂れ込めていて吐く息が白くなった。特に理由もなく、机にうつ伏せになった。
 疲れた。
 こんな無駄な労力を使うことになるとは思っていなかったので、体と心が悲鳴を上げている。だから、真紀はいま見ている光景は幻覚か……、夢うつつになったのだと信じることにした。
 真紀の視線の先には少女が佇んでいた。
 小柄で細い折れてしまいそうな姿。白い制服の裾と黒い背中まで垂れた髪が風もないのになびいている。彼女は教室から見える夜闇を愛おしそうに眺めていたが、ふと真紀の存在に気づいて振り返る。
 大人しそうな雰囲気を感じる眉の線。目元はやや下がり、ほどよく濡れた眼は優しい光を湛えている。『隔された教室』で連想された遠い二十年も前の世界に少女は居たような気がする。
 ぼんやりと少女の姿を眺めていた。すると、彼女は小さく口を開いた。
「――ありがとう」
 少女は透き通るような笑み浮かべる。囁くような声色で礼を述べると、闇に溶けるように消えていった。

隔された教室 第四章

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