序章

報道陣が詰め掛ける大通り。
白光が通りを横切っていく初老の男に無遠慮に浴びせられていく。
初老の男は大勢の屈強な黒服に囲まれながら人並みを割って進む。
 左腕には議会員の腕章をしている。

『キアラン・マクドウェル上院議員。低所得者階級。おもに重労働者たちの安全権利取得を掲げる議員である。議会内での発言力が高く行動力もあるため、支持者は増加している。危険度A』

 老年にも関わらず豊かな髪と細い眉、あご下の髭は真っ白い。
背筋もしっかりしている。
 目尻に寄った皺は深く刻まれ、ニコニコと笑顔を振り撒く姿は温厚な老人そのものである。
学生服姿に混じって私服の子供たちが彼の前に歩み出て小さな箱を差し出している。
 この中でまともに献身的活動に精を出している奴なんていないわよね。……いたら、自分がワルイ事をしている、みたいに感じてしまいそうだ。
 先行した子供たちをすり抜ける。
一瞬、学生服姿の私に怪訝な表情を向けた子供がいたが無視しておく。私は女にしては身長が高すぎる。
もしかすると、学生服を着ている事に無理があるんじゃなかろうかとは……考えたくもない。
「募金お願いします!」
 老人の前に立ちはだかる様にして私は大きめの木の募金箱を突き出す。
来るもの拒まずの老議員は周囲の子供たちが持つ箱の中に数枚の紙幣を滑り込ませていく。
横割り込みした私の前にもちゃんと来てくれた。紙幣を取り出して箱に収めようとする老人に私は礼を言う。
「ありがとうございます」
 老人は向かい合う私の顔を見て微笑んでいる。私も笑顔でそれに答えてあげた。
そして。
私は躊躇なく右人差し指のトリガーを引き絞った。
 募金箱が、爆発して木片が飛び散る。
飛び出した弾丸は老人に喰らいつき、紅い飛沫が私に降りかかった。
舞う木屑に混じって金属薬莢が回転しながら私の視野を過ぎていく。老人は奇怪な動きで後ろに突き飛ばされて黒服の男たちにぶつかった。
 人々は聞きなれない凶器の音に硬直してしまっている。
その間にも白い大きな募金箱に仕込んでおいた自動小銃が嬉々として存在を声高に強調する。
 子供たちが叫ぶ。耳に痛い金切り声に私は顔をしかめた。
黒服ボディガードも容赦なく射殺すると旗もかくやと身を翻した。首に掛かったままであった壊れかけの募金箱と自動小銃はその場に捨てた。
 四方無闇に広がろうとする群集に紛れ込む。
銃声を聞いた人は一目散にその場から駆け出していき、事態の呑み込めていない人にぶつかって倒れる。
その上を多くの逃げ惑う人が踏み砕いていく。
 逃げるときは冷静に行動しなければね。騒ぎの張本人だからこそ逃げる準備は万全だ。
 人の流れがない小さな隙間へ私は飛び込む。
整理された片道四車線の道路や、延々と続く人の流れに沿った左右の商店街とは違う。正反対の腐臭漂う上層都市の裏路地。
細いコンクリート壁剥き出しのごみ置き場を連ねる目にも入らない場所。
きれいに隠しても汚いところは必ずあるものだ。
 おっと、裏路地に逃げても安心できない。
私は騒ぎから出来るだけ離れていくように道を進む。これで、九十九人。あと一人。時間は……、腕時計を見やる残り八時間。
 ポケットの携帯電話が鳴り響き、手に取る……Bossからだ。
「よくやった、スミカ。あと一人だぞ」
「ありがと」
 早口で言い切ると即行で電話を切った。
自分で命じておいてそんなに心配なのか。標的一人殺すごとに掛かってくる電話にいい加減うんざりしている。
 まぁ、それも次で終わりだ。
新聞紙が舞うドブ臭い道。首のない子猫を咥える野犬を飛び越えて、生ごみバケツをひっくり返した。
路面が滑るのは、つるつるの革靴のせいだ。
足が涼しい。
忘れていたけど、初めて学生服着たよ。学校も行ったことないから実に新鮮な気持ちだ。
 全力で駆け抜ける私に銃声が轟く。
腹と脇、肩に堪えがたい激烈な痛みと衝撃が貫いていく。
 願いが叶うと油断していた。
所詮、暗殺者には運命の女神も勝利の女神は、ましてや幸運の女神など振り向いてはくれない。私を助けてくれるのは、私だけだ。
 ド派手にアスファルトに突っ込む。目と鼻の先を火花が散る。
痺れる肩とズタズタに裂けた両腕に構っている暇はなかった。銃弾が掠めていく道路の中で少しでも命をつなげる場所を探し出す。
 チェックのスカートに挟んだハンドガンを抜いて転がる。
逃げ込んだのは巨大な鉄のゴミ入れ。大型のごみ入れを壁に追撃者に向かって牽制射撃を放つ。
弾丸は追撃者の隠れた壁を抉ってどこかへ消えた。
「っ……こふっ」
 咳を一つ。
フーフー言いながら呼吸を落ち着ける。
口から赤黒すぎる吐瀉物を胸に零した。ピンク色のワイシャツに深紅のリボンが広がる。
肩に一発。腹に二発も当たっている。
 飛び出そうとした追撃者に今度は的確に狙い撃つ。
三度の銃声の後、バッタリと、倒れ伏したのを見届ける。ハンドガンの残弾をすばやく確認してスカートに押し込む。
 立ち上がって走ろうとする私は自然と左寄りにぐらついて……左肩から壁にもたれかかった。
スカートをびしょびしょに濡らし、紅い雫が滴っている。たちまち足元が血の斑点で一色に塗りつぶされていく。
 願いを掴み取るまで倒れるわけには行かない。ここからは、執念だけだ。壁に背中を擦り当てながら先を急ぐ。
この先に雨水を上層都市から中層都市へ逃がす雨水の配管があるはず。
 ふと頭を上げて空を仰ぐ。
裏路地を這いまわる錆だらけの管を見渡す。よろめいて視線を下に戻した。
ちぢれ毛の灰色ネズミが足元を抜けていった。落っこちている配管表示板を拾い上げる。違う。これは下水だ。首を巡らし頭を回す。

「……ないぞ! 向こうか!」「……どこに行った?」
 遠くに聞こえた怒声に膝が立つのもふらつくほど震えていた。両肩を掻き抱いて肌を浸透してくる寒さに耐える。
明らかに追っ手と思われる足音が耳に入り、そのまま通り過ぎていく。何度も何度も視線を往復させてあるべきものを探していく。
 どうしてないのだろう。絶対になければならない物が全然見つけることが出来ない。
焦りに狭まっていた視界に錠の施されたフェンスが映った。
奥に見えるプラスチック板は『雨水配管』の緑文字。
「っ、あった……!」
 青色のビニールが劣化で剥がれかけているフェンスに飛びつく。無駄に扉を揺さぶって錠の固さに嘆く。
すぐさま網に足を掛けてよじ登った。腹に激痛が走る。内蔵が出てきたらどうしよう……
 がしゃがしゃと騒々しい音を立てて取り付く私に銃声が追いすがる。
左の二の腕から赤い飛沫が噴出す。
弾丸は骨を砕いて突き抜けていった。フェンスから体が離れて落下の感覚。
「ぐぅ……っ!」
 背中から無様に叩きつけられた。
私は目の端を飛び交う瞬きに意識が朦朧とする。現れた連中は遠目から撃ってきたのか。こちらに走り寄ってくる姿が逆さまに見えた。
 こんなところで死ぬわけにはいかないのよ。
あと一人なんだから、あと一人で!
目の前にちらつく願いに力が沸き起こる。
 ハンドガンを構えて自動掃射で撃ちまくった。
ロクに固定もしない銃身は掌の中で生きた魚の如く身を跳ねる。
はじけるアスファルトに、吹き飛ぶゴミ袋。逆転する世界に倒れる追手を見た。
 連続する戟鉄の空振りにハンドガンを捨てた。
千切れそうな四肢を駆使してフェンスをよじ登り、雨水配管に走り中を覗き込む。
 今は乾季。
雨水の配管の中は足首までの水嵩しかなかった。侵入を目撃されないうちに急いで体を滑り込ませる。腕が利かないことを忘れていた私は無様に配管の中に落下する。
 無残な有様だ。
鏡を見なくてもわかっているつもりだ。明滅する白色蛍光灯に導かれて私はトボトボ帰還する。いや……帰還とはいえないか。
 私はピエロだ。次のショーを準備するために、道具を取りに戻るだけだ。
絶対に落とさないように下着に仕込んでおいた一枚の紙を取り出す。
紙ではなく写真。
 私と、もう一人朗らかな笑みを浮かべる小柄な少年。
私とは違う空色の瞳。夕日に照らすと黄金色になる弛んだ髪。私に「お帰りなさい」と向けてくれた初めての笑顔があった。
 思わず力が抜けて笑みが浮かぶ。
「待っててね、ピオ。絶対にまた会えるから」
 遠すぎる道の先を見据えながら、暗い配管の中を歩き続ける。
 私の名前はスミカ。そろそろ十代も卒業する。
この上・中・下の三層を螺旋状につなげた街。コクーンシティで要人の暗殺を続ける人間だ。
 一週間で指定された百人のターゲットを殺し終えた時、Bossから取り上げられた義理の弟を返してもらえる。
今殺した奴で九十九人。あと一人で、弟に会える……。

カラス嬢の願い 序章

novel   カラス嬢の願い Next