序章

「真紀姉さまーーーーーッ!」
 園芸部部室で紅茶とクッキーで昼食を摂っていた桔梗 真紀(ききょう まき)は、廊下から聞こえてきたけたたましい声に顔を上げる。真紀は駒の進められたチェス盤を眺めながら闖入者が入ってくるのを黙って待っていた。
「真紀姉さまッ!」
 部室の扉が吹き飛ぶように押し開かれる。扉は勢いあまって壁に激突して古い建物を揺らした。
「もっと静かに入ってきなさい。部室棟が壊れるでしょ」
 真紀はチェス盤から顔を上げると元気の良い後輩へ向き直った。
 小手毬 綾香(こでまり あやか)。
 茶色に染められた髪をボーイッシュに短めに揃えている。顔は小作り、体格も顔に見合う小柄さで小動物のような愛らしい雰囲気を放っている。ただし、性格は〝元気すぎる〟の一言で言い表せるので、子犬というよりはリスのようなイメージかもしれない。
「すいませんッ、でも、それどころじゃないんです! 聞いてください!」
「どうしたの?」
「あたし……、空気が読めないって言われたんですよぅッ!」
 真紀は涙目の綾香を上から下までじっくりと眺めてから、ふむ、と頷く。
「そうね。間違いなく読まない性格だと思うわ」
 綾香は両手で頭を押さえながら膝から崩れ折れた。
「ガビーンッ、そんなハッキリと言うなんて!」
「伝えなければいけないことに嘘はつかない主義なの」
「もっとマイルドに伝えてくださいよぅ!」
 真紀はふたたび綾香を眺めてから、腕を組みなおし、ようやく口を開く。
「綾香は、皆がフォアグラを食べているときに、グースの感動大作の話をするような性格だと思うわ」
「それもなんか嫌ですぅ……」
 綾香はしょんぼりとうな垂れて不満を垂れる。しかし、他に表現の仕様がないと思う。
「で? 空気が読めなくてどうしたいの」
「ですからッ、空気の読める女になれば、あたしの目指すカッコいい女性に近づけるのではないかと思うわけです」
 拳を固めて力強い口調で綾香は言う。真紀は常日頃からカッコいい女とやらを目指す綾香の努力を生暖かい視線で見つめているが、果たしてそれがプラスの方向に働いているかどうかは定かではない。
 みたび真紀は思考を巡らせると次の手を差すためチェス盤に目を落とした。
「そうね。あきらめるといいんじゃない」
 綾香は地を蹴り跳躍する。三回転ひねりを加えて空中で旋回した。勢いをつけて真紀の胸元へダイブする。
「真紀姉さまぁーーーーーーーーーーぁ!」
「うぐぇッ」
 チェス盤に集中しようとしていたために反応が遅れた。綾香のデッドリースピン(本人曰く:超必殺技)を鳩尾に喰らって壁に押し付けられた。勝負の途中だったチェス盤がひっくり返されて宙を舞う。
「そんな冷たいこと言わないで助けてくださいよぉ!」
「あんたは助けを求める相手に超必殺技を喰らわせるのかッ」
 真紀は壁を背に床に引き倒された状態でわめいた。ついでに綾香のボーイッシュカットをベシッと叩いておく。けれど、綾香は部室に床で埃まみれになるのもかまわず真紀の足に絡み付いてくる。
「いまなら、真・一撃必殺技も披露しますよ……?」
 甘えるような口調でありながら、綾香の目にはギラリと光るものが過ぎった。さりげなく脅迫をしてくる後輩に背筋が冷える。
「く……」
 面倒くさいことには巻き込まれたくない性質だけど、どっちにしろ綾香が来た時点で騒動が起こることは目に見えているのだ。今日はひどく疲れることを覚悟しなければならないってことらしい。
 真紀は深々とため息をつく。床に散らばったチェスの駒を拾い集めて立ち上がった。
「わかったわよ……ったく、しょうがないわね」
「わぁ、ありがとうございます~」
 綾香は満面の笑みでひしっと真紀に抱きつく。ついでに、真紀のふくよかな胸元に頬摺りすることも忘れない。
 真紀はげんなりとした様子で、もう一度だけやるせないため息をついた。こうして、真紀の穏やかなる昼休みの時間は打ち破られたのであった。

空気嫁っ! 序章

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