翌日のお昼休み。
真紀は園芸部部室にて将棋盤と向き合っていた。向かいに座る人物が真紀の陣に金を置いてきた。攻め立てられていてピンチだ。駒を差しながら真紀と相手……、静江は昨日のことを話していた。
「へぇ、空気の読みかた、ですか。ずっと付け回されてましたから何事かと思ったわ」
「やかましい後輩がいると苦労するよ」
詰みになる前に安全な囲いのなかへ王を逃がす。
「フフフ、可愛いじゃないですか。慕ってくれてるんでしょう?」
「ふん、……ま、そりゃあね……」
桔梗 真紀と白百合 静江は仲が悪い、との噂は学校の常識だ。だが二人は近所に住んでいるので幼い頃からの付き合いであり、ゲーム好きで互角の力量、話が合うので休みの日はよく一緒に遊ぶ。そんな二人の関係を知っている人間は少ない。
お互いに世間の目を欺く仮の姿?を気に入っており学校内で仲良くする瞬間は極力秘密にしているからだ。真紀を慕う綾香でさえもこの秘密は知らない。
「空気を読む、のは一種の駆け引きのようなものかもしれませんね。わたくしたちがやっている将棋やチェスとよく似ています」
攻めていた静江は急に陣を固める手を打ってきた。……気づかれたか。ニコニコと笑う静江の表情からは何も読み取れない。
「相手が何考えてるのかを予想して何をしゃべるか決めるわけだから、勝負みたいなもんか。そこまでシビアに考えはしないけど……、さ」
迷っているように手元をふらつかせながら相手の銀を誘うように歩を置いてみた。静江の笑顔にピクリと変化が見え、真紀は口元が動きそうになる。笑みを見られないように口元を手で隠した。
が、その湧き出してくる笑みが即座に引っ込む。静江の手に気がついてしまった。あと二手で詰みだ。
「最近、わたくし思うのですけれど――」
「ん?」
「わたくしが勝ちそうなときに限って小手毬さんがやってきてゲーム盤をひっくり返していくような気がします」
「それはたまたまでしょ」
真紀は平然としたもので次の手を考えていたが、将棋盤から顔を上げた静江にジットリと見つめられ胸が騒いだ。
「小手毬さんが体当たりしてくる位置にさりげなくゲーム盤を移動させるのも【たまたま】なのかしら?」
「キノセイじゃないかな、うん……」
不満げな様子で睨みつけてくる静江から顔を逸らす。真紀は冷や汗のでてきた頬を人差し指でカリカリと引っかく。
遠くから誰かが全力疾走で走ってくる気配がする。廊下を力強く蹴る足音がタンタンタンッと近づいてくるのがわかる。あれは間違いなく綾香だろう。
「ふぅ、そういうことにしておきます。その代わり――」
静江は携帯電話を取り出すとパシャパシャと将棋盤の写真を数枚撮影した。
「続きはあとでしましょう。写真はメールで送付しておくわ」
「はいはい……」
真紀はやれやれと両手を振る。
「わたくしが勝ったら、フフフフフ……約束を忘れないでくださいね」
後ろ暗い笑いを漏らしながら静江がこちらを眺めてくる。嫌ぁ~な記憶を思いだし、真紀は顔が熱くなるのを怒りでごまかす。
「――ッいいからさっさと行きなよ!」
「では、ごきげんよう」
静江は綾香に目撃されないように部室の裏口、中庭に設置されている園芸部用の温室の入り口から外に出て行った。そして入れ違いになって、いつもと変わらぬタイミングで綾香が部室に飛び込んでくる。
今日はいった何の用だろうか。世話の焼ける話だ。
「真紀姉さまッ!」
部室の扉が吹き飛ぶように押し開かれる。扉は勢いあまって壁に激突して古い建物を揺らした。
「もっと静かに入ってきなさい。部室棟が壊れるでしょ」
真紀は将棋盤から顔を上げると元気の良い後輩へ向き直った。