序章

春の日差しが暖かい。昼下がりの並木道。桜が散って青々とした葉が生い茂る木の上で少年は首を傾げていた。
「簡単な仕事のはずだが。パッと目の前に立ち、バッと叫んで、答えをもらう。なぜ成功しないんだ?」
 その声は自分を取り巻く不幸の原因が理解できていない声である。少年は心底不思議そうな表情でそれを呟くのだ。
 そんな少年の隣に陣取った私は、ポツリと呟く。
「だって、陽光ってさ。いろんな意味でとっても運悪いじゃない。仕方ない事だと私は思うわよ」
「たったそれだけの言葉片付けられる問題ではないが……」
 がっくりと肩を落とす少年。だが、並木道をしずしずと歩いてくる人影を見つけると、途端に険しい表情となる。
「今日こそは、成功させる。忍として恥ずかしくない仕事を全うしてみせる」
「がんばってね」
 拳を握り固める少年に、私は生暖かい視線をおくる。たぶん、失敗するとわかっているから。ため息一つついてから、私は陽光[ようこう]と呼ぶ少年を見やる。
 耳が隠れる程度の黒髪。切れ目の黒瞳。小柄ながら引き締まった体格で、身に纏う得体の知れない緊迫感がなんとも魅力的だ。背の高さに重点を置かないのであれば、格好いい少年だと思う。
 忍と本人は言っているが、服装は高校生用の学生服姿。パッと見ただけでは普通の人とあまり変わらない。普通の行動をしているときはね。
 さて、陽光はとある獲物を狙っているわけだが……
 並木道を、本を読みながら歩いてくる女子学生。陽光と同じ学校の制服を着ている。もっと説明すると同じクラスの人だ。
 名を『久留米 緋織』[くるめ ひおり]という。
 腰まで伸ばされた黒髪をたなびかせ、歩く姿は『お嬢様』の雰囲気を匂わせる。色素の薄い茶色の瞳は、穏やかな笑みと一緒に向けられると女の私でもドキリとする。 口数が少ない所為で親しく話す人は少ない。性格は清楚で優しく、子猫とじゃれあう姿が可愛らしい人なのだろう。後半は私の勝手な妄想だけどね。
 話の流れからわかってきたと思うけど、陽光はこの緋織ちゃんに告白しよう、ってわけなのだけど。問題がある。もちろん、陽光が告白するのが恥ずかしくってことじゃありませんヨ。
 樹上で枝を掻き分けながらじりじりと間合いを詰める陽光。獲物は何も知らずにこの桜の木の下を通るだろう。
「っふっふっふ。今日こそは逃がさんぞ……俺の秘儀をその身に受けるがいい」
 ちょっと危ない性犯罪者風の台詞を吐きながら、陽光は不敵に笑う。
ところが、ここで予想外。
 本の字面を追っていた緋織の足がピタリと止まる。その視線の先には大きな水溜りがあった。そういえば昨日は大雨だったっけ。
 緋織が水溜りを大きく迂回する形で道を歩き始める。このままでは陽光のいる木から離れてしまう。
「ぬぅ、ちょこざいな。俺の恋路は邪魔させん!」
 言うが早いか。ひらりと陽光は空へ身を躍らせる。道の反対側に植えられている桜の木へ跳んだ。弧を描き、脅威の跳躍力で枝に移る。
 おっと、そうはいかないぜぃ! でやッ!
 私は陽光が飛び移るはずの枝に向かって、えいっと念力を送る。すると、乾いた音がして陽光の飛び移った枝だけがへし折れる。
「なんの!」
 すばやく右手で他の枝を掴むが、そうはさせじ!
 ビビっと見えない力を掃射すると、握った瞬間、根元から取れてしまう。ちょうどそこだけ腐っていたかのように。
「あああぁぁぁぁ……」
 陽光は自然の法則にしたがって真っ逆さまに落下した。
 ここで手に汗を握る実況説明こと、補足説明その壱。
 実はこの並木道は山を中途半端に切り崩したところにある。道の両側は崖になっており真下には高速道路が通っているのだ。グリーンのフェンスはしてあるけど、桜の木の枝はフェンスの向こう側なわけです。
 陽光の悲鳴は崖の下に消えていく。そして、すぐに車の行きかう音にかき消されてしまった。あーあ、可哀想に。グットジョブ、私。
「?」
 時間差で桜の木の下を通った緋織は、頭に疑問符を浮かべながら周囲を見渡していた。間近で何らかの出来事が起こった事は理解しているようだ。
 二度三度、首を回していたが気づくはずはない。不思議そうな顔をしてそのまま行ってしまった。
 私は陽光の悲惨な最後を見届けようと、高速道路を中から見下ろす。むっ、あれは!
 まさに『道端でよくペシャンコになっている蛙』の運命を辿ろうとする陽光へ接近する黒い風が見えた。
 あのままだと黒い風は間に合いそうにない。陽光は地面に着地する前にトラックに跳ね飛ばされそうだ。よし、行け! あともう少し。頑張れトラック。
 私の思惑は外れ、速度を上げた黒い風は空中で陽光を抱きかかえる。間一髪! クラクションを鳴らしたトラックが猛スピードで走り抜ける。黒い風は勢いを殺さず三角跳びの要領で高速道路の防音壁を蹴って上昇する。
 壁を数回往復した後、並木道に華麗に降り立つ。陽光を抱き上げて、あれだけの動きでも息一つ乱れていない。
「だいじょうぶだった? 怪我はない? どこか擦りむかなかった?」
 陽光を助け出した少女は矢継ぎ早に尋ねる。ぺたぺたと愛おしそうに体に触れる様は、まさに過剰な母の愛を髣髴とさせる。
「大丈夫だから離せ!」
 それを厭わしそうに払いのける陽光は、母の愛を拒絶する反抗期の子供とそっくりだ。解放された陽光は急いで離れようとしているが、左手を掴まれているためそれは無理だった。
 陽光が恐れる彼女の名は『横須賀 三春』[よこすか みはる]。
 陽光と同じ忍だ。緋織と同じ学生服姿の少女。少女というには大人っぽ過ぎるかも知れない。ショートカットの金髪。猫を思わせる瞳は黒だから金髪は染めたんだろう、でも眉は黒いっておかしい。
 この少女の最大の特徴は、かなり高い身長(と、魅惑的な『ぼでぃらいん』。説明は腹立つからしない)。普通の男子学生よりも高い。当然平均男性の身長を大きく下回る陽光を『お姫様だっこ』をすることくらい朝飯前だ。
 そして彼女は、陽光の『婚約者』である。
三春は陽光が口を開く暇を与えない速さで言葉を繋げる。
「陽光はほんとうに危なっかしいんだから。私がちゃんと傍にいてあげるからね」
 有無を言わさず、ガチャリと重厚な金属音が二人の間に鳴る。三春の左手と陽光の右手に鈍い光がある。二人を繋ぐものは手錠であった。
「これで安心だね!」
「安心じゃねぇ! なにやってんだぁ!」
 えへへと笑って陽光を抱きしめる三春に対して、陽光は顔を真っ赤にして絶叫する。三春は平然としたもので、頬を僅かに朱に染めて恥らう様子を見せる。
「なにやってるって……私たち、もう普通の関係じゃないんだよ? 手をつなぐくらい当たり前だよ。ねぇ、詩乃もそう思うよね?」
 詩乃とは私の事です。話を振られた私はあさっての方向を向きながら枝毛を気にしていた。
「そうねぇ……そうかもしれないわねぇ」
 物凄く適当に返事を返す。でも、三春は気にしないようでご機嫌であった。
「だよね。だよね! 陽光、今日は手をつないでラブラブ登校しようよ」
 つないでるってより、繋がれてる? の表現のほうが微妙に正しいよね。しかも、二人の関係『ラブ』じゃないし。
「冗談じゃないぜ。俺はゴメンだね!」
 陽光は上着の袖に隠し持っていた黒金の短刀『くない』を取り出し、手錠の鎖を断ち切る。そして脱兎の如く並木道を駆け出した。コンマ差で三春も余裕の表情で走り出す。
「待って! 『ほらぁ、つかまえてぇ~』ってやるのは、夕日のきれいな海岸でやりたいのに。それに、逃げるのは私の役目でしょ!」
 二人の巻き起こした突風で桜の葉がざわめく。葉の波が収まる頃には二人の姿は遥か遠くに霞んでいた。はやいなぁ、二人ともオリンピックにでも出ればいいのに。
 静かになったので、遅ればせながら私の紹介。
 私の名前は『滝山 詩乃』。陽光が忍の里にいた頃から背後霊をやってます。透明感のある姿だけど、気がつく人はすぐにわかる。さっき三春も見えていたでしょ?
 付かず離れず陽光に憑き添い、その行動を見守り時には助言をする頼もしい存在。エッヘン! それが私です。

愛の戦士は目も当てられない 序章

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