第三章


「……」
「……元気ないのね」
 街灯だけ続く暗がりの道で、私は無言に耐えかねて何度目かの言葉を発した。隣にいる陽光の低いテンションもあって夜の道はいつもより怖く感じる。
いまの時刻は……七時を回ろうとしている。
それでも陽光は一縷の望みを託し、時計台の下へと向かっているのであった。
校門を力なく乗り越える。監視センサーに捉まらないように跳びはしたが、動きが鈍く危なっかしくて仕方がない。
 がっかりするのはしょうがないとは思う。自分で呼んでおいて、待ち合わせの時間に行かない、訳のわからない呼び出しだ。嫌われてしまうか、愛想をつかされてしまうだろう。
待ち合わせ時間からすでに三時間。
 それでも。
 それでも……嘘でしょう……
 時計台の下。か細い灯りの下に立つ人影があった。
両の手を合わせ、はぁ、と息を吹きつける少女。黒い髪を揺らして物憂げに夜空を仰ぐ少女。その女子生徒は、久留米緋織であった。
「ずいぶん待ちました。おそいですね、相模原くん」
 口では怒ってみせて、緋織は柔らかな笑みを向けた。
「久留米さん……」
 信じられないといった様子で、ぼうっと陽光は少女の名を呼ぶ。私はその横で髪がぐしゃぐしゃになってしまうのも構わず、爪で頭を掻き毟っていた。
 なんで、こんな事に。普通三時間も人を待つと思う? そんなことを自分に叱咤しても状況は変わらない。陽光を邪魔するのが得意な三春も、こんなときに限って姿を現さない。
ここにあるすべての運が陽光に味方しているかのように、私が呼び寄せていた不幸がすべて霧散していく。
「相模原くんの手紙を受け取りました。あなたの気持ちも……よくわかりました」
 そこで言葉を切って、緋織はほんの僅かに頬を赤く染めた。
「私で良いのですか? 楽しい会話もできませんし、今頃の女子生徒らしくもありませんけど」
 私は二人の間に生まれつつある空気に息苦しさを感じていた。私の存在が、否定されていく。不味い、マズイ……このままじゃ、私は消えてしまう。
 そう。私は守護霊なんかじゃない。
陽光に不幸の念を呼び寄せる怨霊だ。陽光の事が欲しくて堪らなく、私は陽光が幼い頃から目をつけて、隙あらば命を奪う罠を張ってきたのだ。
ここまで上手くいってきた私のシナリオが崩れようとしている。久留米緋織という少女に対しての認識が甘すぎた。このままでは……私の――が盗られてしまう。
 陽光の気を逸らそうと肩を叩く。
「ねぇ……!?」
「もちろん! 俺は、久留米さんの事が好きなんだ! 自分のことをそんな風に悪く思わないで」
 遅すぎた。私の発言は陽光の勇気を込めた言葉に潰されてしまう。もう間に合わない、まだ間に合う、と鬩ぎあう心に翻弄され、私は躊躇してしまう。
 この間は致命的であった。
陽光の言葉に、緋織は泣き笑い入り混じった複雑な表情見せて、一言口に出した。
「ありがとう……」
 この言葉を最後に、私は陽光から弾き飛ばされてしまった。宙に放り上げられた私は体勢を立て直す。
「陽光!」
 もう彼の瞳は私を映さない。だから、私の呼び声に答えることもなかった。
私は涙を堪えて、見つめあう二つの影を睨んでいた。こうなってしまうと陽光は私の存在を見ることはできない。いずれ彼の記憶からも忘れ去られていく事だろう。
私は奥歯が痛むほど歯を食いしばる。手が自然と拳の形になる。
「ぁぁああああ、なんで、なんで、なんでよ! どうして!?」
 ひとしきり喚いてから新しい決意を煮え滾らせる。
 あきらめる事なんてできない……また、誰か手頃な人間を探さなければ。私の陽光、絶対に、絶対に、絶対に! 誰にも渡さない……!

愛の戦士は目も当てられない 第三章

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