「そうだ! その手があったか……どうして今まで気がつかなかったんだ!」
夏を予感させる五月の日差しの下で陽光は声高らかに叫んだ。学生服の長袖ブレザーでは少々暑いのか、今は長袖ワイシャツを腕まくりしている姿だ。
彼はいま、校舎の間を渡している給水間の上で食事を取っていた。パンを購入したのは二十分前だが、歯形はまだ二つしか付いていない。
「そんな大声出すとまた見つかっちゃうわよ?」
私は陽光の隣で給水間に腰掛けている。幽霊だって座る事ぐらいできる。足をぶらぶらとさせながら陽光の顔を見ていた。
陽光は私の忠告などお構いなしでしゃべり続ける。
「手紙だよ、手紙! これで指定した場所に呼び出して告白すればいいんだ。やはり俺は冴えているな」
目を閉じながら口元だけで笑うと、陽光は懐から筆ペンと紙を取り出した。下書きも無しでスラスラとなにやら書き始めた。
きれいな達筆だから相手に悪い印象は与えないけど……致命的な問題点は改善されていない。
「呼び出しすところまでは順調にいくとしてもさ。あなたが不慮の事故でそこに行けなかったりしたらどうするの?」
陽光の顔が青くなる。筆ペンの動きがピタリと止まってしまった。普通そんなことは気にしないが、彼はよほど気をつけないと不慮の事故にあってしまう。ほぼ間違いなく不慮の事故は私が念じて置き照り宇野だけれどね。
「うっ……確かに、不味いな。しくじると俺の心証も悪い」
陽光は唸りながら頭を抱えてうずくまる。
「いや、でも……これ以外に方法はない。学校内だったら事故にあう心配はないだろ。学校のどこかを指定しよう」
私はさらに横槍を入れる。
「三春に襲われたらどうするの?」
「確かに……あの強姦魔に襲われるのはやばい。あいつのせいで忍の里を追い出されたからな。邪魔してこないとも限らない……ぬぅぅ」
わからない方が多数と思われるので。詩乃お姉さんの補足説明、その弐。
陽光と三春の育った忍の里では、『姦淫してはならない』との決まりがある。決まりを破ったのは三春で、被害にあったのは陽光なんだけど……ようは巻き添えってことです。
肉体的にも精神的もボロボロになった翌日、頭領に呼び出された陽光は「女に組み伏せられるような忍など役に立たんわー!」などと怒られてしまったのである。でも、あの忍の里で三春に勝てる忍は誰もいなかったような気がする。
まぁ、ぶっちゃけると。
三春に戻ってこられたりすると困るから、餌代わりに陽光も一緒に追い出したわけですね。
唸り声を上げながら悶えていた陽光だが、覚悟を決めたらしい。震える指先で手紙の続きを書き記していた。
「……久留米緋織殿へ、重要な話があります。本日四時に校庭の北西に立つ、時計台の下にてお待ちください……。こんなもんだな……頼むぜ、神様」
額に手紙を当てて短く祈る。
忍のクセにクリスチャンの真似事とは……効果あるのかしらね? しかも、陽光はちょっと不注意すぎ。
私が警告するより先に追撃者は現れた。背後で固い着地音が鳴り、給水管を揺さぶる。
「見つけたわよぉぉぉぉ、お昼一緒に食べようよぉぉぉぉ」
本人は可愛らしくお願いしているつもりかもしれないが、聞こえてくるのは怨嗟の声。給水管を微妙に揺さぶるほどの響きのある声だ。
後ろを向かずに逃げ出そうとする陽光を、がしっと掴む、白い腕。肩を掴んだ手はくるりと陽光の体を半回転させた。
陽光を捕まえたそのままの勢いで抱きつき攻撃。腕を陽光の背中へ這わせる。
陽光は逃げ出す事はできなかったものの、持っていた手紙を早業で懐に隠したのはたいしたものだ。
「離せ!」
「一日三回。おやつの時間も合わせてハグしてくれるって約束しなきゃ、嫌だもんね」
耳元で甘く囁く三春に対して、陽光は声の限り叫ぶ。
「ぜったい、嫌だ! そんな約束しねぇ!」
あ……馬鹿。陽光からは見えないけど、三春の目の光が変わった。
背中に回した手が力を込めやすいように固く合わせられる。三春の腕に膂力が加えられたのを感じて、陽光の体がビクンと跳ねる。
「ちょ、ちょ……っと。な、なにをするのかな?」
陽光の両腕も胴と一緒に抱きしめられているので脱する方法がない。
あ、肋骨が嫌な悲鳴をあげはじめている。腕がぎしぎしと凄い軋んでいる。
「約束しないと、このまま背骨を真っ二つにしちゃうぞ?」
私から見えている三春の顔は穏やかな笑みを浮かべている。しかし、発せられた声色は有無を言わさぬものへと変わっていた。
この愛を囁いた声を、陽光は忘れているはずもない。間違いなく彼の脳裏には『あの夜』の事が蘇ってきているだろう。
しかし、陽光はひるまない。果敢に立ち向かっていく。
「俺を病院送りにして、何か……お前にいい結果になるのか? 俺がベッドで寝たきりになったら、お前が俺を追いかけまわす日常が消えてなくなるんだぜ?」
おおっとぉ、ここで陽光。反撃に転じた! 己の哀れな末路を逆手にとって情に訴えようとしている。どうする三春、どうでる三春。
私は実況しながら次なる頭脳戦の行方をワクワクしながら見守っている。
「それはそれで良し……かな。陽光をずっと看病して上げられるわ、死ぬまでね」
実にあっさりとした返答。まったく効力なし。
ここまで想われているのだからもう幸せになっちゃいなよ、と私は言いたくなってきた。
あ……陽光の首筋に鳥肌が立ってる。
「陽光、どっちにする。背骨をボッキボキにされて病院のベッドで一生、私無しでは生きられない体になるのと、一日三回おやつも合わせてハグするの」
あきらめなさい、陽光。あなたは生まれ落ちた瞬間から、選択権と人としての幸せを得る権利を忘れてきちゃったのだよ。
「わかったよ……」
私の言葉が通じたのか、しぶしぶ、と言った様子で陽光は首をたてに振った。陽光の言葉を聞いて、三春の表情がパッと明るく輝く。
「えへへへへ……、じゃあ。今日一回目のハグね!」
三春が喜びをいっぱいにして陽光をさらに強く抱きしめた。
ボキ、とか。ベキィ、とか。ビキ、とか。凄惨な音が陽光の体から聞こえてきた。肺の空気が残らず搾り出されてしまったのか苦痛の悲鳴はない。
痙攣する指先の動きがとっても不気味である。見ていると、夏の終わりに鳴き疲れて地面に落ちた蝉を思い出す。
痛そうだ。とっても痛そうだ。白目を剥いて口から泡を吹いてる。陽光はこうなるから嫌だったんだろうな。
最後に、一際やばそうな音が陽光の背骨の辺りから響いてきて、陽光は三春の胸の中でぐったりとしてしまった。
「陽光? 陽光ーっ?」
自分の殺人的な抱擁の結果とは知らず、三春は陽光の名を呼び続けていた。哀れなり私の主人。背後霊の私はただただ見守る事しかできないんだ、くぅ。
最後に事態を理解していない三春に私は静かに告げた。
「とりあえず、保健室に連れて行きなさいよ」