「私が、セリア姫をお守りするのですか?」
一介の騎士には過ぎた任務に、何かの聞き違いかと俺は思ってしまった。
「そうだ。不満か、イニアス・オブシディアン」
視線は下に落としているのでわからないが、王の眼力で頭が焦げてしまいそうな錯覚に襲われていた。
「いえ、そのようなことは……」
王から漂う貫禄に気圧されながら、ようやくそれだけ答えた。
金刺繍を這わせた赤絨毯で俺は跪き、目の前の一段高い椅子に座る王と対面していた。
ここは謁見の間。
普段は近衛兵が斧槍を掲げて並んでいるのだが、広い謁見の間には紫紺のローブを纏う初老の男と、宝冠を載せた壮年の男、それに俺だけだ。よほど内密にしたいのだろう。謁見の間の外まで人払いは済ませてある。
ちなみに、ローブを着た初老の男は、俺の養父であり偉大な師であり、ハイアット王国随一の魔術師でもある。
名をヴェルナー・オブシディアンという。
捨て子であり冒険者として育てられた俺が、短期間でハイアット王国の騎士に抜擢されたのは、ひとえにヴェルナー師匠のおかげである。
俺の頼りない言葉を了承と解釈したのだろう。王は厳かに告げる。
「お前にはセリアと共に、我がハイアット王国の北西にある≪霧の山岳≫に赴き、≪古竜≫を退治してもらおう」
「な……っ!」
驚愕のあまり声を荒げそうになったが、ヴェルナー師匠に睨みつけられ、慌てて声を飲み込む。危うく王に失礼な発言をするところだった。
「し、しかし、陛下。≪古竜≫は伝説の存在だと聞き及んでおりますが」
存在しないものを退治せよとは、いったいどんな命令なんだ。
疑問は一つではない。なぜセリア姫を同伴させなければいけないのだろう。≪霧の山岳≫は危険な生物も生息している。たった一人の王位継承者を、自分の娘を危険に晒すというのか。
王は俺の質問には何一つ答えない。
無言のまま立ち上がると、王国を見渡せる大窓へと歩いていく。俺は表を上げる。王が席を外したのであればこうする作法が正しいからだ。
「お前はハイアットの王族が≪古竜≫の血を強く受け継いでいる事をしっているか?」
「はい」
ハイアット王国誕生の伝説は他国も知るほど有名である。神々と≪古竜≫たちの戦から逃れた、ハイアットと呼ばれた≪古竜≫と、ハイアットに恋をした一人の乙女が作り上げた国と伝えられている。
伝説は伝説。だが……伝説は事実なのか。
稀にハイアット王族の中には、≪古竜≫の絶大な力を色濃く受け継いだ子供が生まれてくる事があるという。
ハイアットは国土も産業も秀でたものを持たないが、昔から各国は存在するかも曖昧な竜の血族を欲しがり、侵略を行ったり求婚を持ちかけてきた。
「これは極秘であるが、セリアはハイアット王族の中でも極めて強い≪古竜≫の力を秘めて生まれてきた。その代償とも言うべきかな。大量の魔力を補充しなければ正気を保てない体なのだ」
なるほど……病弱であるから人前に姿を現さない理由はそういうわけだったのか。正気を失うと、どのような状態に陥るのか知らないが、国民に知られてはまずいのであろう。
「大量の魔力を一度に得るためには何を食せばいいと思う?」
魔術の知識を持つものならば即答する。そして、身の毛もよだつ想像へと飛躍させる事ができる。
「生まれながらに高度な知性を持つ、魂ですね……人を食わせているのですか?」
「昔は。あの娘は生まれてすぐはなんてことのない赤子であったが、しばらくして母を喰らい、乳母を食べた。それからは罪人どもを少々、な」
王の顔を窺い知ることはできない。超然とした態度と声には一点の曇りも迷いもない。人を食わすことに恐れを抱いていないのだ。
食料として人の命を差し出すことも惜しくない。それほどまでにセリア姫を愛している、ということか。
どうやら、俺が呼び出された理由は、餌にされるらしい。
数年ほど前から、幾度となく高い能力を持つ騎士が、顔を隠した従者を一人連れて巨獣を討伐に行くことがあった。そして帰還するのは何故か従者が一人。騎士は相打ちになるのが通例であった。
討伐を命令された騎士は、聞いた数では俺で26人目になる。
「俺は王国存続のための、尊い犠牲となるわけですね」
口からすんなりと発せられた言葉に自分自身が驚いてしまった。
無論死ぬのは怖い。それでも、師匠に拾われた命をセリア姫のために使うのであれば悔いはないように思えたのだ。
心残りといえば……せめて喰われる前に、胸に秘めたる想いをセリア姫に伝えたかった事だろうが。
王は怪訝な表情をして、俺を注視していた。
俺の台詞を聞いて、理解しがたい馬鹿を見るような目をしているのである。だがスグに口の端に笑みをつくる。肩が震えているのが次第に大きくなり、我慢できないのか豪快に笑い始めた。
「ふっ、はっははは……お前は考えすぎだ。本当に≪古竜≫はいる。セリアが≪古竜≫の強き魂を喰らえば、数年は人を食わずとも生きられるだろう。それ以外の他意はない。まぁ、お前の考えている事も、場合によっては現実になるかも知れぬが」
今度は俺が頭の上に疑問符を浮かべる番であった。
俺を置いて、王は佇んだまま会話を聞いていたヴェルナー師匠に向き直る。
「ヴェルナーよ。こやつ、火遊びはするほうなのか? お前の育てた最高の弟子はこの世でもっとも危険な≪魅了≫の魔術を使えるのか?」
な、なんて事を仰るのか!
意味を理解すると共に、顔が熱くなる。俺の感情が見透かされてしまったようで背中を冷や汗が伝い落ちる。
王の悪ふざけに応え、ヴェルナー師匠は歯を見せてニヤリと笑う。
「ご安心を、陛下」
いつの間にか背後に立っていたヴェルナー師匠は、俺の肩を乱暴に叩き先を続ける。
「剣と魔法しか知らぬ男ですが、女に優しい男ですよ、こいつは」
「そうか。お前がそういうのであれば安心だな」
王は再び俺に向き直り、一枚の書状を投げ寄越した。右端につけられた赤い蝋には王のみに使用できる、印が押されていた。
「宝物庫にある武具は好きに使え。≪古竜≫と渡り合える装備を整えるがいい。セリアには先に宝物庫で待つように伝えてある。行くがよい」
「はっ」
俺は一礼し、退出しようとする。
体の向きを変える一瞬、王とヴェルナー師匠の顔が見えた。険しい瞳を向けたヴェルナー師匠に王は小さく頷いてみせる。
いったい……?
じっと見つめているわけにもいかない。退出するべく歩みを進めながら、聴覚だけを研ぎ澄ませる。
「ここは私一人でも平気だ。ヴェルナーも武具選びにつきあってやってくれ。≪古竜≫を倒す知識に詳しいのはお前だけだからな」
「仰せのままに……」
背後から聞こえてくる会話から緊張は抜け、臭わせていた緊迫感は感じることができなかった。
俺に遅れた形でヴェルナー師匠が退出してくる。厚みを感じさせる扉が閉まり終えてから、ヴェルナー師匠が口を開いた。
「さてさて、お前にはわからない事も多いだろうが……今はわからずともよい」
俺の内心をそっくり汲み取るかのような言葉に、俺は驚きに目を見張る。
魔術師は、戦闘中など敵から術を構成している様子を隠すことも必要とされる。そのため、感情の変化をコントロールする事を学ぶのだが……師匠にとっては、俺の面などお見通しらしい。
「この密命にお前を推薦したのは私だが、それも考え合っての事だぞ、イニアス。セリア姫に惚れこんだお前のためのお膳立てじゃ」
ヴェルナー師匠は意地悪な表情で俺を見下ろして言う。
「そ、そそ、そのような事を! こんなところで仰る事はないでしょうに……!」
俺は声を押し殺しつつも、ヴェルナー師匠に噛みつく。
周囲に人気がないことは、常に展開している≪感知≫の術で把握済みだが、予想外の事態が起こらないと限らない。
ここは王城だ。
清濁併せ持つ、多くの人々が集う場所だ。誰がこの話に聞き耳を立てているか知れず、迂闊な事を話す事はできないのだ。
もちろん、その、ヴェルナー師匠の好意は嬉しい事この上ないが、それを王が許したのであろうか? さらに、それとは不安も別にある。
「ですが、私意ではセリア姫の騎士に、私が適任であるとは思えません。私以上に実力のある上級騎士の方がいるでしょう? ≪霧の山岳≫に住まう生物はかなり手強いそうですが……」
なにせ、俺は騎士の称号を与えられたばかりなのだ。俺の下位騎士と呼ばれる位は、本当ならば王族と接する事すら許されない騎士である。
「いや、この命は、己の力が問題ではないのだ。お主の胆力、そして精神力、さらに姫に対する感情で決まる」
ヴェルナー師匠は苦い表情を見せる。
「上級などと謳われても奴らは貴族出の騎士に過ぎぬ。セリア姫に抱いている感情など、出世の道具程度にしか思うておらんのだ。まったく笑わせよる……!」
そのとき、ヴェルナー師匠の眉が微かに動く。俺の≪感知≫の術にも人の気配が感じられた。
声を潜めて、ヴェルナー師匠は言葉を締めくくる。
「この密命が真の意味で成功すれば、ハイアット王国は一つの転機を迎える事となる。それに、お主に相応の覚悟があるのなら……、姫とお主は真の心で結ばれる。イニアスよ、頼んだぞ」
俺は無言で顎を動かす。なぜなら、まるで狙い済ましたように大臣と護衛の騎士が謁見の間への回廊に進み出てきたからだ。
とはいえ、俺は何をすればよいのかさっぱり理解していなかった。セリア姫を守ることだけが俺の使命であると漠然と考えていたのである。