セリア姫は部屋に戻ると俺を放り捨てる。さらに、乱暴に扉を閉めて鍵を掛けた。しかし、こんな扉はバリケードにすらなるまい。逃げようにも窓から飛び降りるには高すぎる。ここは袋小路だ。
セリア姫は、一歩、二歩、と部屋の中央まで歩いて、ガクンッと膝を折る。床に手をつくセリア姫に慌てて俺は走り寄り、床に倒れないように横に座って支える。
「セリア姫ッ! どこか怪我を……?」
俺の問いかけに口を結んだまま首を振る。セリア姫は力の無い笑みを浮かべると、我が身に抱くように両腕を掻き抱く。
「ッ……朝までは、持つと、思いましたのにね」
そう言うなり、セリア姫は左手で俺の胸倉を掴み上げた。
「な、なに……を?」
なんて力だ。
俺の体は宙に吊り上げられ、足が付かない。胸倉を締め上げる指先は渾身の力を込めても振りほどけない。
束縛は一瞬だった。
セリア姫は隣室に俺を力任せに放り投げたのだ。背中から壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。背骨が砕けたかと思う衝撃に息が出来なかった。
視界が回転して目の前に明滅する光が舞う。
扉を閉める音、硬い金属音。重ねるように家財をひっくり返して扉の前に放り出す騒音が聞こえてきた。
やかましい音に紛れてセリア姫の言葉が耳に届く。俺は意識が落ちそうになるのを耐えた。
「無数の槍を突きつけられても、あんな言葉を言えるなんて……思ってもいませんでした。あなたの言葉は、心の言葉とまったく、同じ。真実の言葉だった……」
俺の耳に聞いたことのないほど悲しげな声が届く。俺は何故か、見えないはずの表情が。泣き笑いの顔をしたセリア姫が見えていた。
俺の言葉を信じてくれた?
俺はセリア姫の傍にいたい。陛下が反対しようとも、ヴェルナー師匠がやめておけと諭したとしても、俺は彼女の隣を歩きたい。
その言葉が伝わったのか?
セリア姫はずっと隣を歩いてくれる人を、心のどこかで待っていたに違いない。多くの人に裏切られ、待つことに絶望すら覚え始めていた頃。俺が現れた。
陛下が、ヴェルナー師匠が、俺を姫の守護騎士の任に当てた理由。なんとなく分 かってきた気がする。『セリア姫を守る騎士』は必要ない。『セリア姫と一緒に居られる騎士』が、セリア姫にとって、本当に必要な騎士なんだ。
「でもダメ。なおさら、私の傍に……あなたはいて欲しくない」
殴りつけられるような言葉に俺は叫び返す。
「どうしてですか!? 俺には何が足りないというのですか!」
いますぐ立ち上がってセリア姫に問い詰めたい。そんな心境に駆られる。
だが、俺の意思と裏腹に体を身じろぎ一つ出来ない。だから、俺は声を出すしかない。セリア姫に届くように、声を絞り出す。
長い時間を置いて、小さな声が届く。
「さようなら、イニアス様。追ってこないでください……」
それは、決別の声。別れを告げる言葉。
「セリア姫ッ!」
答えはなかった。
代わりに、言葉の費えた部屋から唸り声が聞こえてきた。
壁に飾られた絵皿が次々と落ちて割れていく。部屋が振動している。地べたに這いつくばっている俺は、身を震わす振動に気分が悪くなってきた。
一際大きく猛り叫ぶ声を最後に、セリア姫の気配が遠ざかった。聞こえるのは怒号と悲鳴。セリア姫と兵士たちが戦っている。それも、段々聞こえなくなっていく。
俺の体に激痛以外の感覚が戻ってきた。痺れた四肢はどうにか動かせそうだ。
「いちおう、手加減してくれた……のか?」
体の痛みに比べて怪我の状態はそれほどでもない。打撲くらいで骨は折れていない。
扉を押してみるが、硬い金属音がして動かない。セリア姫が勝手に外に出ないように俺が鍵を掛けようと思っていたはずが、俺が閉じ込められる事になるなんて。
扉に体当たりをしてみるがビクともしない。
こうしている間にもセリア姫の気配は砦の中を凄まじい速度で動き回っている。余計な体力を消耗しないで脱出するには、魔術を使ったほうがいいかもしれない。
とはいえ。
鉄で補強された扉と積み上げられているだろう家財を吹き飛ばす威力となると、多少の怪我は覚悟しなければならない。
俺は深呼吸すると、魔術の構成を開始する。
頭の中で作り上げていく力のある言葉が、周囲の魔力に反応して具現化していく。うっすらと宙を周回する文字。
白光から赤光へ、緑から青へ。目まぐるしく変化する一行の文字は円を作り、激しく回転する。俺の目の前で文字が広がって弾け、細かい粒子となって輝いた。
否。粒子は次々と爆発を引き起こした。
部屋の一角が吹き飛び、粉塵に視界が遮られる。真っ白な空気へ向かって俺は歩き始める。
口の中に溜まった血を吐いて捨てる。手の平を見ると、腕から流れ出ている血で服が真っ赤になっていた。内臓と腕。こんなものなら安い代償だ……と、思ったんだけどな。
俺は立っていられなくなり床に崩れ落ちた。
強烈な破壊力を発生させる魔術は、心身の消耗が激しい。壁を一枚破壊するのさえ命がけというのだから、魔術と言うのは不便なものだ。
「……っ、セリア姫……」
俺は床に爪を立てて、脱ぎ捨てたままになっている武具の下まで這いずっていく。
セリア姫に喉笛に噛みつかれても平気なように、首に魔法で強度を上げたマフラーを巻き、左腕は魔法銀(ミスリル)の篭手、同じく胸当てを装備する。剣にも新しく強化の魔術を施しておく。
準備は万端だ。
魔術の使いすぎで視界が傾くのも構わず、俺は歩き出した。
剣を杖代わりにして廊下へ出ると、おびただしい血痕が残されていた。
死体は無い。砕かれた剣。折れた槍。血に染まった皮鎧だけが無造作に捨てられている。
≪感知≫の魔術によれば、砦の中に人の気配は残っていない。全員が殺されたのか、逃げた者もいるのか。
朦朧とする意識で外に出た。月が綺麗で星が朧に煌いている。星明りの下で、途中、見たことがある衣服を見つけた。
「モーリック卿……」
庭に落ちていた衣服に俺は祈りの言葉を呟く。傍らに鈍く光る、歯型の付いた大剣。ここで行われた戦闘の様子が頭に過ぎる。
戦闘の跡をおいて、俺はセリア姫を軌跡を追っていく。
セリア姫は砦を閉じる鉄製の格子を引き裂いて脱出し、目的地を≪霧の山岳≫としていた。運がいいことにセリア姫は一定の場所から動いていない。急げば追いつけそうだ。
俺は星明りも届かない森の茂みを掻き分ける。暗い道を照らすために、松明を取り出してつける。
俺を支えるのは森の闇に消えそうな炎と、感じるセリア姫の気配だけ。
遠くで聞こえる≪大蜥蜴≫の吼える声に、俺は背筋を冷やす。≪霧の山岳≫からつねに吹き降ろしてくる夜風は凍えそうなくらい冷たかった。