第三章

長机の一番端にモーリック卿が座り、長机を囲んで椅子が残像のように並んでいた。長机に置かれた料理はどれも山の食べ物で、趣向を凝らしたものであった。
 香りたつ食物の匂いに空腹の度合いが増していく。
「どうぞ、お好きな席へ。粗末な料理で口に合いますかどうか」
 俺とセリア姫がそれぞれ腰掛けると、給仕の者たちが葡萄酒を注いでいく。それで用は済んだとばかりに次々に退出していく。
 モーリック卿が銀製の肉刺と小刀を手に取り、食事を始める。
 卿には失礼だが、セリア姫が食事を始める前に毒見をしなければ。これも守護騎士の勤め。だが、セリア姫はさっさと食事を始めてしまう。慌てたのは俺だ。声量を最小限に警告する。
「セリア姫……ッ。空腹である事は承知ですが、ご自重ください」
 毒は効かない体質なのかもしれないが、俺にも立場がある。姫の騎士が為すべき事を怠れば、それは恥となる。
 済ました顔でセリア姫は話す。
「毒見はやめておきなさい。この料理をあなたは食べないほうが宜しいですよ。たとえ、お腹が減っていたとしてもね」
「ッ……!!」
 即座に言葉の意味を理解する。
俺は手前にあるスープを一舐めし、唾と共に吐き出した。セリア姫のスープも同様に毒見する。
 舌先に沁みる、しびれる様な感覚。味覚と本能のすべてが警告を発していた。
 俺は魔術習得の過程で錬金術にも触れた、薬剤知識は豊富だ。
 俺のスープは劇薬、セリア姫のスープには強烈な睡眠薬がたっぷり入っている。
 ……なんてことだ。まさか、こんなことが……セリア姫の暗殺は真実であったのか!
 苦々しい表情を貼りつけたモーリック卿を殺意を持って睨みつける。
「これはいったいどういうことか、説明していただきたい! モーリック卿はハイアットに忠誠を誓った騎士ではないのですか」
 モーリック卿は背筋を伸ばして立ち上がる。
 王族暗殺と言う大罪を犯しておきながら、焦りや後悔の念は微塵も感じられない。ただ、闇を秘めた瞳を向けるのみであった。
「……イニアス殿は何故、その化け物を庇うのだ。ハイアット王国を滅ぼしかねない害悪の存在を」
 モーリック卿が長机の下に隠していた大剣を取り出す。
 俺は腰に手をやってから愕然とする。武器がない……ッ!? 剣は客室に置いてきてしまったんだ。後悔しても遅い、気迫で圧されぬようにモーリック卿の青目を睨みつける。
 捨て目で確認したセリア姫は黙々と食事を続けていた。一片の焦りも見せない、なんて人だ。
 モーリック卿は片手で大剣を下げ、無形の位のまま話を続ける。
「道中、賊の襲撃がないかを監視していた部下がセリア姫の蛮行を見た。彼は砦に戻ってきて報告をして、そのまま気絶した。あまりの怯えように薬師もつけて看病させているが……もはや使い物にはなるまい」
 セリア姫を一瞥して鼻を鳴らす。
「病弱で人前に姿を現さぬ。姿を見せても遠目から、それも邪気のない笑顔を向けられては、この目が偽りの姿を捉えても仕方がない。陛下も騙されているのだ」
 それはない。
 陛下はセリア姫の事情を一番知っておられる。そう断言するより前に、美声が割って入ってきた。
「あれも私の姿ですよ、モーリック卿。人と言うものはいくつもの顔を持っているもの。人は誰しも二人の自分がいて、片方は綺麗な自分で飾っている。モーリック卿も同じでしょう? あなたはハイアット王国の忠義を尽くす騎士ですが、同時に欲のある野心家でもあります。どの程度欲深いかと言えば……死んでも主君に付き添うか、生きて新しい幸せを見出すか。忠誠と己の命、二つを比べたときに命を選ぶ。その程度のささやかな野心ですが」
 カチャカチャと食器を鳴らしながらセリア姫は口を動かす。根拠のない推測と受け取り、モーリック卿は嘲笑う。
「何を馬鹿な事を……私は陛下のためになら命すらも捧げる覚悟がある」
 俺もこっそりと首だけで頷く。
 モーリック卿が陛下のために命を捧げると言った言葉に嘘はない。間違いなく実行されるはずだ。モーリック卿の忠誠は真実、モーリック卿を知る人物であるならばその言葉に後押しさえするだろう。この国境付近の警護の任についているのがなりよりの証だ。
 ついっとセリア姫の瞳が横に滑り、視線が俺を絡めとる。
「それは、モーリック卿が意識している事にしか過ぎません。そんなもの……なんの証にもなりはしないのですよ」
 俺は瞬きを忘れて、セリア姫を凝視してしまう。
 どうしてこんなにも俺の考えは筒抜けなのだろう。顔に書いてあるのか、はたまた、≪見透し≫の魔術でも使われているのか。
 半ば真剣に悩んでいる俺を捨てて、セリア姫は無表情のまま言葉を続ける。
「騎士となり、武勲を立てたものは褒賞を与えられます。王宮の騎士として騎士の位と僅かな給金のみを受け取るか、国民から自分の裁量で搾取する領地を取るか。王宮騎士と地方領主の二つの地位は選定のためにあるのですよ……欲は人を醜く歪める。忠義のほどを計るため、人の欲で見定めるのです。あくまで見方の一つに過ぎませんが……陛下がモーリック卿を国境の初めの防壁となるように配置したのは、それなりの理由があるのでしょうね」
 セリア姫は最後の言葉だけには含みを待たせて、微笑んだ。
 モーリック卿の顔色が変わる。
 俺も驚いていた。まさか、褒賞の与え方にそのような秘密が隠されていたなんて。信頼できるものだけで周囲を固め、それ以外のものは王城までの壁として使い切るつもりであったのか。
「そんな事は……ッ、私は陛下に、忠誠を誓っている」
 真っ青になりながらモーリック卿は言葉を紡ぐ。うろたえる卿にセリア姫の声が掛かる。
「無論あなたの忠誠も間違いないでしょう。しかし、ハイアット王国は山岳の小国。侵略により滅びる危険は昔から変わりません。見せ掛けだけでなく真の騎士が必要となる……いざ、人は身の危険を感じたら、本能や普段は気にも留めない潜在的な意識で動きます。貴方さえ気づかない心の深淵を、王は常に見ているのですよ」
 モーリック卿は拳を長机に叩きつける。食器が跳ねて、ワイングラスがいくつか床に落ちて砕けた。
 モーリック卿は紳士的な装いをかなぐり捨てて、吼えた。
「黙れぃ! 人を狂わせる魔性の虚言になど惑わされはせんぞ!」
 モーリック卿サッと手を上げると、食堂に武装した兵士が踏み込んできた。数は六人。モーリック卿の手勢は統制が行き届いているためか、セリア姫に武器を向ける事に戸惑う者はいない。
 武器がない。地の利もない。絶体絶命のこの状況。それでも諦めるにはまだ早い。サッと俺は武器になりそうなものを目で捜し求めた。
「捕らえろ!」
 モーリック卿の怒声が響くと、兵士たちが一斉に武器を振りかざす。距離にして数歩もない長机を、両側から挟みうちして斬りかかってきた。
 俺はすばやく手元に並んだナイフとフォークを掴む。そして、懐かしい修行時代の小技を披露する。
 手首を返し、すばやく、舞うように、両腕を振り回した。
 殺到する兵士たちが次々と倒れ、悲鳴を上げてのたうちまわる。ナイフ・フォークを目に投擲してやったのだ。
 モーリック卿は飛来した凶器を見極め、大剣で打ち払った。さすが熟練の騎士。馬鹿正直に突っ込んできた兵士六名は目をやられて悶えている。
「騎士になったとは言え、騎士と同じ作法で闘うとは限らない。油断したな」
「ええぃ! 一斉にかかれ」
 扉という扉から兵士が飛び出してきた。
 これは、本当にマズイ。せめて武器がないと戦えない……万事休すか。
 突き出された槍の穂先に、俺は動きを封じられてしまう。セリア姫にも無数の槍が突きつけられている、しかし当の本人はまったく意に介さず、食事を終えて口元を拭いているところであった。
 モーリック卿は余裕の笑みを浮かべて語りかける。
「いまさらだが……降伏したまえ、イニアス殿。優秀な騎士を失うのはハイアット王国の損失だ」
 それに賛同するように、頷く白金の頭がある。
「そうなさい、イニアス様。私に付いているとロクな目にあいませんよ」
 余計な擁護を受けて、俺は口をへの字に曲げる。
 セリア姫はどうして俺を拒絶するのだ。傍に居たいと言っているだけなのに。拒絶される理由は、俺がまだ信用されていないからなのか。
 モーリック卿のように、心の底からセリア姫の隣を歩く事を決意していないからなのか……
 いや、頭でも心でも俺は決心したはずだ。だったら伝えるだけしか残されていない。セリア姫が認めてくれるまで、声を大にして叫ぶんだ。
 俺はすべてを払いのけるように叫ぶ。
「私はセリア姫の護衛を任された騎士です。どのような事があろうとも、セリア姫を裏切りません。セリア姫を化け物と罵る事もありません。無論、セリア姫の暗殺に加担する事もないッ!」
 俺は肺の空気をすべて吐き出して、叫んだ。
 その勢いに圧されたのか。その場に居る全員の視線が俺に向けられていた。モーリック卿は信じられぬと硬直し、セリア姫は口を開けて俺を見上げていた。兵士に限っては一歩退く者さえいた。
 だが、怯ませはしたもののこちらは丸腰の少年。立ち直りは早かった。
「惜しいな……君なら立派な騎士になれただろうに」
 モーリック卿が部下に命じようと口を開きかける。そのとき、俺の腰に細い腕が巻きついた。
 座っていた椅子を蹴り上げ、セリア姫は跳躍する。
 食堂の小さなシャンデリアを跳び越えて兵士たちの後方へ降り立った。小脇に抱えられた俺は、頭を殴られたような衝撃に意識が飛びそうになる。
「何をしているのだ、追いかけろッ」
 命令に無言で答えて、兵士たちが突進してくる。
「セリア姫ッ……」
 殺気を感じて首を巡らせる。
 兵士の数人が小型の石弓を構えて正射する。セリア姫の頬を掠める矢が壁に突き立っていく。
 俺の額に目掛けて飛んできた矢をセリア姫が易々と掴み取る。
「静かになさい。しゃべると舌を噛み切ってしまいますよ」
 セリア姫は俺の警告を一蹴する。
 前傾姿勢で館を駆け抜けるセリア姫に追いつける兵士はいない。あっという間に引き離すが、予め兵士を分けて配置していたのか、曲がる角から兵士は湧いて現れる。
 それらの雑兵を殴り倒し、壁を蹴って跳びあがり避けていく。一見追い詰められているように見えるセリア姫だったが、向かっている先は客室であった。

覇王姫 第三章

novel  Back 覇王姫 Next