第四章

オラヴィ市街にある《月夜に踊る小鹿》亭から、私の住む家までは距離がある。オラヴィ市街から旧市街へ続く道は遠回りなので、オラヴィ市街からスラム街の中央を抜けて、それから旧市街へ帰る。面倒であり、危険でもあるが、それが一番の近道になる。
  天上の星と月が冷たく刺すように輝いている。冷たい光を注がれて、闇に沈むスラム街がうっすらと浮かびあがっていた。家々の戸は固く閉じられ、石を敷き詰めた路地に人影はない。凍りつくような静けさだけが垂れ込めている。
  私はシルフを一人引き連れながら自分の家へ歩いていく。普通ならばランタンがなければ歩けない暗い道だが、夜目の利く私にとっては月明かりでも十分だ。踵を上げた靴が石畳を叩く音だけが夜闇に響いていく。
  スラム街の夜は女子供が不用意に歩けるような時間ではない。スラムは旧市街と違う。真っ当な暮らしを夢見て働く者もいるが、人のものを掠め取る者、人の命を奪う者もいる。
  スラムには様々な職種のギルドが乱立していて縄張りの秩序を守るため目を光らせている。楽士ギルド、採集隊ギルド、傭兵ギルド、運び屋ギルド、盗賊ギルド……暗殺者ギルド、地回り組合、乞食の集会など。ギルドが監視するのは権利。言うなれば、人の命から道端に落ちている鉄くず一つまで『誰かのもの』と言っていい。だから、縄張りや規則を犯して悪事を働く者はいない……かと思えばそんなはずもない。
  ギルドの掟を破る犯罪者たちはいる。彼らは人の目に触れないように夜の闇に紛れて仕事をこなす。夜中にスラムを歩いているのは、哀れな被害者か狡猾な犯罪者の二種類しかいない。
  私は神経を研ぎ澄ませながら、路地裏からのぞく視線と、ヒタヒタと忍び寄る気配を警戒していた。女のいい鴨だと思って何人もの盗人がくっついてくる。家までついて来られると困るので、適当な場所で撒いておかなくてはならない。
  ところが、気配がスッと遠のく。
  入れ替わるように少し先の路地から数人の男たちの声が聞こえてきた。酒に酔っているのだろうか。人目をはばからぬ大きな笑声を上げ、ろれつの回らぬ会話を交わしている。声が近くなり、角から屈強な身体つきの男がフラフラと現れた。
  男たちは一様に粗末な武装をしていた。
  擦り切れた衣服に皮の胸当てを付け、腰に剣を差し、背中に矢を背負っている。身の丈を超える斧槍を持つ者も、腰に棍棒を提げている者もいる。規律のない装備や下卑た言葉から察するに騎士ではない。
  彼らは傭兵だ。どこからか戦の話を聞きつけ、オラヴィの商人に雇ってもらおうと旅をしてきたのだろう。
  最近、スラム街や旧市街でも傭兵の姿が多く見られるようになった。商船を守る私兵しか持たない商人たちにとって、彼らは貴重な戦力なのかもしれないが、庶民にとっては迷惑この上ない存在だ。彼らは戦時には戦力として活躍するが、戦がなければ村落を襲う盗賊団へと早代わりする。性質の悪い、関わり合いになりたくない人種だ。
  できるだけ早足でその一団とすれ違おうと、私は足の運びを早めた。男たちの傍らをすれ違う時に、むっとする酒臭い匂いと体臭が鼻先を掠めていく。露骨に舌打ちしたい気持ちに駆られながら通り過ぎた。
  しかし、唐突に私の左腕を掴んだ者がいた。全身が痺れるような嫌悪感を覚える。
  ぐるりと体が回転する。力任せに引き寄せられ、私の体は反対の方向へ進んでいったはずの男たちと正面から向き合うこととなった。
  私の腕を掴んだ男は訛りのある言葉で話しかけてきた。
「悪ぃな、お嬢ちゃん。傭兵ギルドがある場所を案内してもらえんかね? この街の道はサッパリなもんでなぁ」
  そう言う男の目線は、私の腕や肩に注がれ、だらしなく口元が緩んでいる。道を尋ねるのは引き止める口実に過ぎない。適当な路地裏に引き込み、私に下劣な行為をしようとしていることは明白だった。
  さらに、後ろにいる男たちの舐めるような視線に気持ち悪くなってきた。着替えてくるべきだったか……ドレス姿でスラムを歩くべきではなかった。
  私はハッキリとした口調で申し出を断る。
「この道をまっすぐと進めば旧市街を囲う防壁へと出ます。私は急いでいるので、そこに立つ門衛に聞いてください」
  私は男の腕を振りほどこうとするが、太い指先は私の肌に食い込んだまま離れようとしない。
「そう言いなさんな。ほんのちょいと付き合ってくれればいいんだ」
  男が勤めて大人しそうな口振りで話すのをしおらしく聞いていたが、他の男が私の背後に回りこんできているのを見逃さなかった。
  私はいつでもシルフを解き放てるように、意識を集中させた。
「放しなさいッ」
  私は路地に響きわたる声で怒鳴りつけた。勢いよく腕を捻って、へばりついていた男の指を振るい落とす。背中に回りこんでいた男が動いたのはその瞬間だった。
  篭手を被せた掌が私の口元を覆う。間髪を入れず、私は太く逞しい腕に抱え上げられて、家と家の間にある道とも言えぬ隙間に連れ込まれていた。過去の光景が目の前に広がりそうだった。痛みと恐ろしさと吐き気、悔しさと憎しみが込み上げてくる。
  でも、違う。今の私は昔の私とは違う。私は……助けてと叫ぶだけの、震えているだけの、為すがまま言うがままの……少女ではなくなったんだ。
「――ッ……!」
  奥歯を噛みしめると、シルフに向かって声無き命令を下す。
  私が暴れないのをいいことに、男が胸元に手を伸ばしてきた。むろん、そんなことをさせない。二度とさせてやるものか。
  私が念じると、意志ある風が吹き荒れた。
  シルフの作り上げた竜巻に舞い上げられる。さらに、私を背中から押さえつけていた男が突風に吹き飛ばされた。
  渦を巻く風に空高く上げられた男は、悲鳴を上げながら、家の屋根を跳び越えて別の路地へと消えていった。一方、私を背中から押さえつけていた男は石壁に磔にされる。異様な音が路地にこだまし、男は壁からゆっくりと崩れ落ちた。男の耳からは黒々とした液体が流れ出し路面を染め上げていく。
  殺した。けど、初めてじゃない。いい気味だ。死んで当然だ。その通りだとも。
「て、てめぇ……ッ」
  残った男たちは、仲間の無残な姿に色めき立ち、腰の獲物を抜き放った。月明かりに鋼の刀身が鈍色に煌く。
「……ふぅ、……はぁ……」
  金属の冷たい輝きにヒヤリと背が冷える。自然と息が喘ぎ声に変わる。さすがに足が震えることはなくなったものの、殺し合いは私の仕事とは畑が違う。緊張に生唾を飲み込んだ。
  後ろに目をやると、二人の男が退路を阻むように路地を塞いでいた。敵は残り四人。一人でどうにもならない数ではない。どのみち、助けを呼んだところで誰も駆けつけてくるはずがない。ここはスラムなのだから。
  私はポーチの中から短刀を探り出し、鞘から外す。慣れた手つきで取り出すとポーチを放り捨てる。
  油断なく視線を巡らせながら、男たちの動きを視界から外さないように心がける。挟まれているのだから不利な状況は変わらない。こちらから仕掛けるべきだろうかと思案していると、男たちが先に動いた。
  赤ら顔の大男が棍棒を振りかざし迫ってきた。酔いが回ったままなのか足元が少々おぼつかない。大上段に振り落とされた一撃を、左足を下げて体を横に向けることによって避ける。
  棍棒が唸りをあげて石畳にめり込んだ。砕けた石片が四方に飛び散る。
  回避した刹那。右腕の短刀を一閃させる。
  柔らかな肉を切る感触が掌に伝わった。弧を描く刃の軌跡は赤ら顔の男の首筋を深く切り裂いていた。血飛沫が男の首から噴きだして私の右腕に掛かった。
  シルフの風が私の体に血が掛かるのをふせいでくれているため、腕だけで済んだのだ。首を切られた男は、顔面から足まで血飛沫で真っ赤に染まった。
  男はくぐもった絶叫を上げる。私は棍棒を放り出して首を押さえる男をすり抜けた。曲刀を両手に持った男に肉薄する。燕を思わせる俊足に曲刀の男は反応できない。
  咄嗟に左手の曲刀を振りぬこうと、男は腕を引く。私はその動きに合わせて加速した。電光のような突進で男の喉笛を短刀で刺し貫いた。勢いに引きずられて男の体が後ろに向かって倒れていく。私は無理に短刀を引き抜かない。全身を丸めて両足を男の胸板にあてがう。そして、両足をグンッと伸ばして男の体を踏み台にした。
  後ろ向きに跳躍した私は、宙で体勢を変えて、残る二人の方へ向き直りながら着地する。遅れて、致命傷を受けた男たちが石畳に転がる音が聞こえてくる。
  冷や汗が退いていく。慣れてきたんだと悟った。
「こんちくしょうめッ、ぶっ殺してやるッ」
  正面にいた男が、狭い路地で振り回せない斧槍を捨てて、腰元の直刀を順手に持つ。血管の浮き出た顔にある憤怒に彩られた瞳が私を睨み据えている。酔いも冷めて完全に頭に血が上っているらしい。ところが、その後ろに控えていた長剣を持った男は震える声で叫ぶ。
「じょ、冗談じゃねぇやッ、俺はゴメンだぜ! 勝てっこねぇよ!」
  同じく酔いは冷めたものの、青い顔をして、長剣を握り締めたまま勢いよく逃げ出したのだ。
「テメェ、逃げるんじゃねぇッ」
  小振りの直刀を振り回しながら男は喚きたてる。愚かな事に逃げる男に振り返って追いかけようとまでしていた。この機会を逃すはずがない。
  一呼吸で間合いを詰めた。強張る男の顔を見据えながら頚動脈を狙った一撃を見舞う。反撃の隙すら与えない先制攻撃に男はなす術もなかった。直刀を握る男は大量の鮮血を撒き散らして傾いでいく。
  直刀を握る男が倒れ伏す前に、私の目は逃げていく男の背中に注がれていた。
  逃がしはしない。あとで復讐されたりするのは面倒だ。殺してしまうのであれば、全員を始末しなければならない。
  倒れる男を尻目に、男の手から零れ落ちた直刀を空いた手で掬い上げる。石畳に片手をついた姿勢のまま直刀を投擲した。闇をひきやぶる直刀の煌きは、まっすぐに男に飛んでいく。
  シルフの風によって威力を増した直刀は男の後頭部に突き立つ。根元まで刃を突きこまれた男は、ドウッと前のめりに倒れ、それっきりピクリとも動かなくなった。
  私は震える拳でドレスの胸先を強く握り締めた。すべてが終わってから膝小僧がガクガクと痙攣を始める。心臓の鼓動が頭の中で破鐘のように響いている。緊張で口の中がからからに乾いていた。
  いつまでたってもこの感覚は収まらない。人を殺した後、私はいつも震えが収まらなくなるのだ。でも、こんな場所でへたばってなどいられない。逃げなくては。
「なにをやっている――?」
  逃げようとした男が倒れている辺り。路地の角から何者かが覗いている。その者は私の姿がよく見えないのか、ゆっくりと歩み寄ってこようとしていた。
  もう震えている場合ではない。
  歯を食いしばり震える体を無理やり直立させ、捨ててあったポーチをひったくるように拾い上げる。
  シルフの力を最大限に使って私は走り出した。路地の傍らに積み上げられていた木箱を踏み台に、屋根に飛び上がる。
「待ちたまえッ!」
  待てと言われて待つものはいない。脱兎の如く屋根を翔け続ける。
  屋根に逃げたのは人目を避けるためだ。私の犯した『殺人行為』が誰かに見られると困る。もし、私が犯人である事がバレてしまったなら、この街を統括する様々なギルドに賞金を掛けられてしまう。彼らは秩序を乱すものには容赦がない。たちまち捕まって私刑にかけられてしまう。
  風に乗って屋根から屋根へと渡り歩く。家に戻るには遠回りだったが仕方がない。時々、用心のために後ろを振り返りながら追ってくる気配がない事を調べる。
  踵を上げている靴なので、跳ねるように走るには不向きだ。私はまだ小刻みに揺れる足を休ませようと立ち止まった。追っ手の気配はない。暗がりから声を掛けてきた者は撒くことができたみたいだ。屋根にいる所を見られないように腰を下ろした。
「……ふぅ」
  夜風に吹かれ、蒼い月を見上げると少しだけ気持ちが和らいだ。
  落ち着いた所でポーチから手ぬぐいを出す。右腕にベッタリとついた血潮を拭い取る。
「待てというのに」
「――ッ」 
  何の前触れもなく、屋根板を踏む足音が聞こえてきた。真後ろからの気配にギョッとして振り返る。警戒と同時に短刀を抜き放つ私に、落ち着いた女性の声が掛けられた。
  さっきの殺人現場で聞いた声だ。
「そう、怯える事はあるまい……。別にキミをどうこうするつもりは毛頭ないのでな」
  私の座る屋根とは反対の傾斜に立つのは、紋様の入った真っ白いローブを羽織った女であった。深くフードを被っているため、柔らかに尖ったアゴと僅かに弧を描く唇だけが見えている。屈んでいた私は見合う形で立ち上がった。
「どういう、こと?」
  私は女の職業がわかりかねていた。
  屋根をよじ登ってきたのなら物音がする。盗賊や暗殺者ならば足音を殺して、私の背後に回りこむのも容易いのだろう。しかし、この女は私と同じ楽士の力を感じる。
  それが私の勘を鈍らせている。
「キミが警戒しているのは盗賊ギルドや暗殺ギルドに密告されることだろう? 私にそんなつもりはない。話を聞きたいだけだ」
  女はククッと喉を鳴らして笑い、私の握り締める短刀を指差した。
「とりあえず、その物騒なものをしまえ。私は丸腰だぞ」
  女は諸手を肩まで上げながら一歩ずつこちらへ歩み寄ってくる。手を伸ばせば届く距離になって、私は女が引き連れているニンフの姿を拝む事ができた。
  女の周囲には涼しげな風が渦を巻いている。さらに、ユラユラと燃える炎の塊がいくつも女を囲っていた。その数は六個。さらにさらに、ローブの隙間から見える装束には紫色の花をつけたツタが覗いている。
  肩がビクリと震える。両腕を凄まじい悪寒が奔り抜けていく。私は怖れと驚きの念が交じり合ってわけがわからなくなっていた。
  女は楽士だ。それも、相当に腕の立つ……ニンフを十人以上も引き連れて平気な顔をしていられるくらいの、とてつもない楽士。伝説に謳われる吟遊詩人とはこのような人間の事を言うのではないだろうか。
  私の様子を感じ取ってなのか。ふぅ、と呆れた吐息が女の唇から漏れる。軽く小首を傾げて口元に心地よい笑みを浮かべた。
「構えるな。私はオラヴィの商人に雇われている傭兵の楽士だ、いまは定時の見回りをしている」
  やれやれ、と言った具合に女は肩をすくめて見せた。不必要に警戒し続けて気を変えられても困る。私は女に合わせてみることにした。
「…………そう。こんな遅くに、大変ね」
  私は女の挙動に注意しつつ、表向きだけは警戒心を解く。ゆっくりとした動作で短刀を鞘に納めた。
「ヴァルデマル帝国の軍勢はこの辺りまで来てるの? 商人の傭兵ならいろいろきいているんじゃない?」
  私は純粋な興味本位だけで女に訊ねていた。
  ヴァルデマル帝国がオラヴィの街に攻め入ってくることは知っている。しかし、それ以上のことはほとんど知らない。オラヴィの北西にある沿岸都市国家群、トゥルッカやロートラウトが陥落した噂くらいだ。
  ところが、女の返答は予想だにしないものだった。
「いや、軍勢ではない。沿岸都市国家を襲撃するヴァルデマル帝国軍は少数で魔獣を引き連れているそうだ。私はオラヴィの周辺に魔獣が現れていないかを監視している」
「魔獣――」
  私の頭の中をピンと何かが奔りぬける。
  魔獣を引き連れている……、昼間のビヒモス。もしや、アレはヴァルデマル帝国軍なのだろうか。
  私が湧いて出た考えに疑問を投げかけている合間にも、女の話は続いている。
「それと、だ。オラヴィに入ってくる楽士を警戒している。魔獣を使役できるのは楽士だからな。しかし……、商人たちも愚かなものだ。私に言わせれば翔帆船に乗ってくるような楽士を監査したところで何の意味もない」
  女の話は真に迫ったものである。在り得ないと、すべてを否定できない説得力が込められていた。
「へぇ。じゃあ、どこから入ってくると思うの?」
  私は先を続けるように促した。女は腕を組んでニヤリと唇を歪める。そして、自信たっぷりに答えた。
「当然、徒歩だ。森を越えてオラヴィに入る。採集隊などに紛れてな。私ならそうする」
  頭に浮かんできたのは今日の出来事。森で出会って、仲良くなって、オラヴィの街へ入る……。私の家で待つ少年の顔が脳裏にちらついている。
  心臓が跳ね上がった。
  女の推測はすべてを見透かすかのようにピタリと合っている。否定できる要素など何一つない。
  まさか。まさか、まさか……そんなはずは! そんなはずは――ない。 本当に?
  ラビスはヴァルデマル帝国兵なのか。ビヒモスを操っていたのは彼なのだろうか。
  私の中では疑いの心がグルグルと渦を巻いていた。ラビスの日常の振る舞いはすべて演技であり、そして、女の推測は正しいのかもしれない。
  しかし、ラビスの無邪気さは偽れるようなものではないのではないか。二つの考えがせめぎあっている。
「私の話を聞いて、何か思い当たるような節があるのならば、聞かせて欲しいのだが。どうだろう?」
  私ははっきりと口にする。
「……いえ、何もないわ」
  頭の中で論争を繰り広げているにもかかわらず、平静な口調を出せたのは僥倖と言えた。
  しばらく女は私の瞳を見据えていた。私もフードから発せられる視線を睨んでいた。視線を外したのは女が先だった。
「わかった。ありがとう」
  女は小さく頷くと、立ち尽くす私を置き去りにして歩きはじめた。
「引き止めて悪かったな。また先のようなことがあるかもしれん。君は早く帰った方がいい、夜のスラムは危険だ」
  女は私の横を通り過ぎていく。通り過ぎる時、髪が揺れた。――確かに聞こえた。流麗な竪琴の音色。聞き間違えかと思いたかったが、女が足を落とすたびに楽器の音色が聞こえてきた。
  この女もラビスと同じ服を着ているのか。ラビスの事を考えていた私は無意識にそう思った。
「あなたも歩くと音を鳴らせるのね……」
  何気なく、さりげなく。私は口に出していた。
「……も、だと?」
  女の声色がゾッとするような低音へと激変した。フードで隠されている顔がこちらを向く。見えないはずの目が私の事を凝視しているような気がした。
  女が纏う雰囲気の変容に戸惑ってしまう。
「君は、歩くと音の鳴らせる人物を知っているのか?」
  女の言葉はどこか凄みを含んでいた。何か厄介なことになったと思いつつも、私は女の衣服を指差す。
「え、ええ。流行っているんでしょう? そういうソウル・アスピアの服」
  女は意味をすぐには理解できないのか、アゴに手を添えて考えるような素振りを見せていた。
「ふむ……、その服を持っているのは女か?」
  ラビスのほんわかとした笑顔と仕草を思い出し、笑い出しそうになるのを堪える。女か男か、何て聞かれたら間違いなく女だろう、あれは。
「いいえ。れっきとした男だったわ」
  女は視線を虚空へと放つ。思案顔で夜闇を覗いていた。
「男か。――ならば……人違い、か」
  ひとしきり頷いた後、女はヒラリと宙へと舞い上がった。彼女は優雅に手を振って別れを告げる。
「引き止めてすまなかったな。機会があるならば。また、会うこともあるだろう。さらばだ」
  シルエットとなったその姿は隣家の屋根へと着地する。次の跳躍で女の姿は背の高い屋根に隠れてしまった。
  私はすぐさま家に向かって翔けだした。居ても立ってもいられなかったのだ。家に帰ればラビスがいないかもしれない。もし、居ないのであれば……もしかして、本当に――。
  シルフの力を限界まで使い、懸命に両足を動かす。肺が悲鳴を上げて吐き出す息が喉を痛める。ゼイゼイと荒い呼吸をしながら私は走り続けた。

Sound of Soul -奏でるものたちへの賛歌- 第四章

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