第九章

スラム街はいつもの変わらない顔を見せていた。屋根の上から見る路地には人の姿はなく、積み上げた木箱を漁る犬や猫の陰が闇に隠れている。夜空に月はない。新月の夜は暗く、星々のか細い光だけが煌いている。
  私の視界に誰かが走りぬける。私と同じように屋根を駆けていく者がいるなんて驚きだ。屋根を走る人物を見やり、なんだと納得した。夜闇に隠れていても見紛うはずがない。あれは、ユーリだった。
  しかし、私は咄嗟に煙突の影に身を屈めてしまった。後ろめたかったのだ。スラムの皆を捨てて、裕福な生活を選んでしまったようで顔を合わせられなかった。もちろんスラムの皆を捨てたつもりなんてないけれど何も知らない人から見ればそのように映るに違いない。
  煙突の陰に隠れていると、もう一人何者かが屋根に降り立つ音がした。
「ユーリ、見つかったか?」
「ううん。どこにもいないよ、リフィル姉さんが見つからない」
  聞き覚えのある声だ。スラムの子供たちの一人に間違いない。どうやらリフィルが行方不明になっているらしい。いますぐにでもここから飛び出して子供たちを助けてやりたかったけど、いまは駄目だ。私にはやらなければいけないことがあるのだから。
「〝カーヴァンクル〟が総出で探しているから奴隷市場なんかも張ってもらってる。人攫いにあったとしても街からは出させないさ。もう一回りしてこよう!」
「うん!」
  〝カーヴァンクル〟の子供とユーリは屋根を走っていく。二つの影がすっかり遠ざかってから私は煙突の陰から滑りでた。見えなくなった二人に向かってそっと呟く。
「ゴメンね……」
  オラヴィの街をヴァルデマル帝国から守らなくては皆の平穏な生活は戻ってこない。そのためにはラビスの力が要る。
  私の家には明かりが灯っていた。部屋の鍵はラビスに預けて留守を頼んでおいた。食料も買いこんであるから問題ない。
  私が家の前へ進むと室内の明かりが消えた。もう眠る所だったのかもしれない。寝入った所を起こすのは悪い。早いところ声を掛けて入れてもらわないと。そう思っていると窓が押し開かれて誰かが顔を覗かせた。
「な、んで――!」
  思わず目を疑った。私の家から出てきたのはレヴィンだった。昨日見た格好とそっくりのまま私の家から出て行こうとする。しかも、その背中にはラビスを担ぎ上げていた。ラビスはグッタリとしたまま動かない。死んでいない、身じろぎをしているから眠っているだけなのかもしれない。
  私は走りながら大声を張り上げる。
「レヴィン……ッ!」
  声を聞いてレヴィンが窓からずり落ちそうになる。驚き、慌てふためきながらもシルフの力を使って飛び立った。私に背を向けて逃げ出した。
  なにがなんだかわからない! どうしてレヴィンがここにいる? どうしてラビスを攫う? 私から逃げなければいけない?
  腰から弓を引き抜こうとして思いとどまる。レヴィンやラビスを弓矢で射落とすわけにもいかない。投網でも使えばいいのだけれど、あいにく持ち合わせがないし、私の家に戻っていたら見失ってしまう。
「ああ! もう――!」
  悩ましく唸り声を漏らす。私はシルフの力を使って屋根に飛び上がる。レヴィンの背中を追って駆け出した。
  楽士としての腕前は私のほうが上。純粋な脚力はレヴィンの方が上だ。シルフの扱いに長けていても、距離を走破する持続力と速度は圧倒的にレヴィンのほうが上だった。
  私は肺が軋むのを必死に堪えて疾駆する。だが、レヴィンの姿は遠のいていく。根っからの戦士のレヴィンと楽士の私では体力勝負で適うわけがない。子供たちに音楽を教えている石橋の辺りでレヴィンの姿を完全に逃してしまった。
  ゼイゼイと肩を上下させながら石橋に縋りつく。黒髪を滴って汗が落ちる。薄生地のドレスは汗を吸い込んでピッタリと肌に張り付いていた。
「くっそぅ……どこへ行ったのよ……ここまでは確実に来ていたのに」
  石橋の下には緩やかな流れがある。水には夜空の光景が鏡のように映し出され、さざなみに乱されて揺らめいている。
  川面の波を目で追っていると、ふと、石材で補強された川縁に目がついた。川縁の側面にはオラヴィ市街や旧市街へ張り巡らされた地下水道が伸びている。
  もしやと考えて、私は地下水道の入り口へ降り立った。ちょうど入り口には人が建てるくらいの足場がある。立って中を覗き込んだ。地下水道の入り口には水で濡らした手形がついていた。まるでここから入ったぞと伝えるかのような印だった。
「あいつ……素直じゃないんだから」
  レヴィンからのメッセージを読み取って笑いをかみ殺す。助けてほしい時にも助けてくれと素直になれない奴だ。地下水道へ入ったら戦闘になることは必至だ。この場で準備をしていく事にした。
  ガントレット型のピアノを構えてニンフを奏でる。
  傍に生えていた雑草を媒介にしてドライアドを。風を詠んでシルフをもう一体。さらに、ポーチからティンダーボックスを取り出した。簡単な動作で火を起こす事ができる優れた道具だ。
  ティンダーボックスの中にある螺子を親指でジッジッと捻る。すると、器具の先端に赤々と小さな炎が灯った。螺子を使って小さな火花を起こし、中に仕込まれたガスに火をつける着火器具だ。
  ティンダーボックスに火をつけたまま地面に置く。火が消えないうちに素早く演奏を始める。ピアノから美麗な音がこぼれだし、小粒の炎が膨れ上がるように大きくなる。炎を割って一人の乙女が姿を見せる。
  炎のニンフ、〝サラマンドラ〟。
  シルフやウンディーネ、ドライアドのように自然の中で簡単に媒介があるものではないからあまり奏でない。他のニンフ達との相性もあまり良くはないけれど闇を照らすにはサラマンドラの力が不可欠だ。
  サラマンドラは私の命に従い、体を小さく縮めて松明くらいの灯りになった。地下水道の中へ入れるとゆらゆらと震えながら私を誘導しようとする。鞘から短刀を抜き放つ。気配を押し殺し水路に足を入れる。冷たい水がドレスの裾を浸し、腿の辺りまで水に濡れた。水路の足場を確かめながら慎重に歩みを進めていく。
  地下水道特有の狭い通路が途切れると、割と広い空間に出た。暗闇にサラマンドラの炎を散らせると、教会の壁や民家の土台が浮かび上がってきた。どうやらこの真上に住居があるらしい。
  オラヴィの地下水道は百年以上前から改修に改修を重ねられている。昔は洪水が起きると街が土砂で埋まってしまった。そのたびに水道を作り直していた。地下水道は土砂に埋まった街並みがそのままに残っている部分が多く、地下都市のようになっている。
  水は穴の開いた場所からさらに下の都市へ流れ込んでいる。上を進むと市街地の方へ、下をいくと港へ続いていたはずだった。レヴィンが水から上がった足跡は下へと続いている。
  私は苛立ち紛れに踵を踏み鳴らす。ため息を吐いてドレスの裾を捲り上げた。
「なんだって服が汚れる場所にばっかり入りたがるのよ……男の子って始末に終えないわ」
  サラマンドラの炎が水に濡れないように気をつけながら下の水路へと落下する。落差は背丈の三倍はあるのでシルフの風を操って滑空する。途中塞がった瓦礫をドライアドの力を借りてどかす。小さい頃はスルスルと隙間を抜けていたものだけど……あの頃に比べるとずいぶんと大きくなってしまったんだと感じさせる。
  奥へ奥へと進んでいくと角の途切れで青白く眩い光が漏れているのが見えた。ソウル・アスピアの灯りとは違うニンフの光だ。そして水音で聞き取りにくい話し声がしている。
  私は折りたたみ式長弓を広げて矢をゆるく番えた。腰溜めに弓を構えて中腰になる。水路内は足音がこだます。流れる水の音が少しは隠してくれるはずだけど忍び歩きで光のあるほうへと向かった。
  サラマンドラの炎を小さくすぼませる。壁に張り付いて私は灯りの指す方角をそろりと窺った。
  真っ白い光を放っているのは光のニンフ、〝ウィル・オー・ウィスプ〟。そして、向かい合う人影は六人だった。水路の出口からは波立つ海が見えている。
  ラビスを担ぎ上げたレヴィン。向かい合うのは怯えた表情のリフィルとイルシェ、それとイルシェと似たような服装をした男と女だ。あれがオートマターと呼ばれる兵士だろうか。
「ラビスを連れて来たぞ。妹を放せッ」
  水路にぅわんぅわん、とレヴィンの声が反響する。返すイルシェは冷静な声で答える。
「では人質交換をしよう。妙な真似はするなよ、こんな薄気味悪い水路で死にたくはなかろう。貴様が――」
「そっちの男がラビスを受け取れる位置まで来い。男にラビスを受け渡す前に妹をこちらへ歩かせろ」
  レヴィンはイルシェの言葉を遮った。有無を言わさぬ口調にイルシェは鼻を鳴らす。アゴで隣の男を指図する。
「いいだろう。いけ」
  私はレヴィンの動きを注意深く見つめていた。何をして欲しいのか。何をすべきなのかを見極めなければラビスとリフィルは助けられない。矢を引き絞りいつでも飛び出せるように身構える。狙うならばオートマターの男か女だ。
  男がレヴィンの前に立つ。リフィルの番だ。イルシェに肩を叩かれてリフィルが歩きだす。そろそろとした動きで水を掻き分けてレヴィンの背中に隠れた。
  レヴィンがラビスを受け渡す番がきた。レヴィンが肩からラビスを下ろす。男がゆっくりとラビスを抱きとめた。
  その瞬間だった。
  私は弾けるように飛び出して矢を放った。ドライアドの身体強化された腕で引いて、シルフの風の力で強まった矢が、オートマターの女に殺到する。旋風を巻き起こした矢はオートマターの女に貫いて吹っ飛ばした。水路の壁に体を削られながらオートマターの女は水路出口から放り出された。
  レヴィンも動く。腰の鉈剣を引き抜いて袈裟懸けに切り下ろす。ラビスを抱えたオートマターの男は背中から血飛沫を上げて崩れ落ちる。レヴィンは空いた手でラビスを捕まえようと腕を伸ばした。
「愚か者め」
  倒れるオートマターの男を盾にイルシェが肉薄していた。ローブをはためかせて突進してくる。
「レヴィンッ!」
  私は援護するため矢継ぎ早に撃ちまくる。イルシェは従えたシルフで壁を作り、矢を弾き飛ばしてしまう。風の壁を纏ったままイルシェはレヴィンに体当たりする。
「ぐぁぁ――ッ」
「きゃぁぁ――」
  悲鳴が水路内に反響する。レヴィンは宙に浮き上がり壁に叩きつけられる。背後にいたリフィルも飛ばされてきたレヴィンに突き飛ばされて団子のように絡まって転がった。
  イルシェはラビスを背負いあげて悠々と水路から歩き去ろうとする。もちろんそんな事はさせない。弓を構えてイルシェを狙う。
「ラビスを置いていきなさい」
「さすがに強いな。オートマター二人を瞬時に撃退してしまうとは……私の連れていたビヒモスを撃退するだけのことはある」
「――! 森でビヒモスを操っていたのは、あんただったの」
「そうだ。だから接触した。スラム街で君の実力の程をじかに確かめたかったわけだ。なかなか脅威だぞ、キミの存在は」
「そりゃどうも。とにかく、ラビスを置いていけつってんのよ! 逃がさないわよ」
「いいや。ラビスは返さない。そして、私は他に用がある。これ以上邪魔されるのも困る。キミらはここで死んでもらう」
  突如、水路の出口から凄まじい速さで水の塊が飛んできた。本能的に防御姿勢をとる。シルフが力を発揮して水を風の壁で防いだ。痛いほどの水飛沫が全身を打ち据える。私は勢いに体が後ろへ引きずられてしまった。
  すでにイルシェの姿はない。一瞬のうちに外へ脱出してしまった。
「逃がした! なんてこと……!」
  追いかけようと出口へ走る私をレヴィンが腕を掴んで引き止める。
「やめろ! 何か海から上がってきてる。下がれ!」
  細長い物体が鞭のようにしなって水路内に侵入してくる。全身がてらてらと光る軟体質の生物が水路に乗りあがってきた。ぎょろりとした巨大な目が私たちを見つめる。
  大量の海水が打ち寄せてきて私たちはヨロヨロと後退する。
  頭部は尖っておりずんぐりとしている。頭巾を被っているような頭の下に目玉があり、胴体と足の変わりに十本の吸盤付き触手が生えている。姿かたちは巨大なイカそのものだ。
  レヴィンは鉈剣を突き出して応戦の構えを取る。しかし、魔獣の巨大さとおぞましさに腰が引けている。恐怖で口も利けないリフィルを背中に隠しながらジリジリと下がっている。
「なんだこいつは!?」
「クラーケンよ。触手に掴まったらおしまいだわ」
  深い海の底に棲みついている巨大な生物。シー・サーペントに並んで危険な海の魔獣だ。大型軍船を一隻沈めてしまう様なやつを相手にまともに戦えるはずがない。ここは狭すぎるから避けながら戦う事も難しい。
「逃げるわよ。狭い所に入れば付いてこれないわ」
  私は矢の残りを手探りで数えつつ触手の動きに警戒する。横歩きで素早く後退する。
「馬鹿言うな! イカはどんな場所にでも頭さえ通れば入れるんだぞ」
  レヴィンは歩けないリフィルを抱きかかえながら追ってくる。リフィルの体などレヴィンにとっては小鳥が止まっているくらいにしか感じないらしい。触手を跳び越えながら機敏な動きで走ってきた。
「そりゃタコの話でしょうが! とにかく戦うのは無謀よ」
「そんな事言ったってよ、逃がしちゃくれねぇぞ……コイツ」
  寸秒遅れでクラーケンの奇声と触手ののたうつ音が迫ってくる。俊敏な動作だ。横殴りに振り回される太い触手を屈んで避ける。短刀で抜きざまに吸盤を切り裂いてやる。
  こんなじゃちっとも効きやしない。もう一閃、短刀を切り返そうとする。だが、触手のほうが速い。肩をしたたかに叩かれて水路に叩き込まれた。海水が細かに飛び散って目に沁みた。
「痛~ッ、もう! 倒すのは無理だけど怯ませて逃げる事くらいなら楽勝よ。ほら、先に上がって!」
  すっとろいレヴィンの尻を蹴り上げる。短刀を鞘に戻すと右腕を掲げる。弓を番える。
「わかったよ! 蹴るな。フィレスも無茶するんじゃないぞ」
  私は力強く頷く。レヴィンは三角跳びの要領で瓦礫を蹴って上の水路へ消えた。
「サラマンドラ……炎の力を矢に集めてちょうだい」
  サラマンドラが炎の吐息を吹きかけると、たちまち矢は炎に包まれる。先端が槍のように伸びて長大な矢に変化する。炎の熱が肌を痛いくらいに焦がす。
「シルフ、風の密度を高めて……竜巻を起こせるくらいにね」
  シルフは嬉しそうにクルクルと旋回する。ビヒモスを倒したときのように球状の風の壁を作りあげていく。
  炎が猛る。風が唸りをあげて水路の水を押し流す。クラーケンはすぐ目の前だ。私を押し潰そうと這い寄ってくる。
「シルフ! サラマンドラ!」
  指を弾く。炎の矢を撃ち放った。
「喰らいなさい――!」
  竜巻が。轟炎が。膨れ上がる。サラマンドラが解き放った炎で矢が一瞬で灰になる。サラマンドラの炎はシルフの竜巻に呑まれて炎の突風となる。視界は一面の炎に埋め尽くされ水路の中を駆け巡る。
  火炎の嵐を真正面に受けたクラーケンは堪らない。全身が火達磨になってしまった。耳鳴りがするような絶叫を上げて暴れまわる。得体の知れない肉が焼ける臭いがたち込める。巨大が目玉が熱で膨れ上がり破裂した。
「フィレス! 早く上がってこい。クラーケンが暴れて水路が崩れそうだ」
  クラーケンの触手が水路に亀裂を入れている。真上からは頭ほどの大きさの石塊がゴトリッと降ってくる。上から手を差し伸べるレヴィンに急いで掴まった。力強い腕に引き寄せられて私は上の水路へ登った。
  崖が崩落したかのような轟音が水路に響いていった。瓦礫の山からは苦しそうな奇声が聞こえてきていたが静かになった。石の間からは焦げついたクラーケンの触手がはみ出ている。
  私とレヴィンは折り重なるようにして倒れている。下に敷いているレヴィンに得意げに語りかける。
「なんだかんだ言って……倒せたわね。クラーケンを倒せる人なんて聞いたことないわ。兵士だったら英雄も同然ね」
  レヴィンはクスリともニヤリともしない。口を真一文字に引き締めて言い放つ。
「とりあえず、重たいから、どけ。マジで」
「……そりゃ失礼しまし、たッ!」
  膝蹴りを叩き込みつつ起き上がる。股間を押さえて悶えているレヴィンを捨て置いて、座り込んでいるリフィルへ話しかけた。
「大丈夫、リフィル? どうしてこんな事になったの?」
  疲れきってしまったのか。リフィルは座ったままの姿勢で首を振った。立ち上がるのも億劫のようだ。
「わかりません……買い物の帰りにいきなり呼び止められて脅されて……、付いてくるように言われたんです。ラビスさんが連れてこられたのもレヴィン兄さんが助けに来たのも、わけがわからなくて。でも、わたしのせいで……ラビスさんが……」
  手の平で顔を覆いリフィルを嗚咽を漏らす。私は背中をさすりながら励ます。
「ラビスは必ず救い出すわ。安心してちょうだい」
  レヴィンは水路の壁に手を付きながら立ち上がる。色んなところに傷を受けてしまったので辛そうだ。断じて私のせいではない事を言明しておこう。
「とにかく地下水道から出よう。あんな化け物が海から上がってきているなら対岸の砦も攻撃されているかもしれない。傭兵はやめだ! とにかく〝カーヴァンクル〟のガキンチョ共や爺さんたちを避難させるぜ……!」
  私はライナスの屋敷へ戻らなくてはいけない。機会を見てレヴィンにも声を掛けたい。
「そうね……」
  でも、ヴァルデマル帝国の進行が始まっているのなら話は別だ。まず子供たちを安全な場所へ逃がしてしまうのが先決だ。
「レヴィンはどうしてここに?」
「おう、俺か? 対岸の砦にいたんだけどよ。リフィルを人質にとったって手紙がきて、慌ててオラヴィの街の戻ったんだ。鎧とか自動弓なんかは邪魔で全部置いてきて、シルフとウンディーネの力を借りて海を渡ったんだ。あとは、さっきのイルシェとか言う女に指図されてラビスをつれて来いといわれたんだ」
「なんでそんな回りくどい事を……」
「いや、話し振りからするとラビスの奴、けっこう〝やる〟らしい。イルシェとか言う指揮官が数人の兵隊がやられたって言っていたからな。俺とかお前みたいに親しい奴が油断させて捕まえないといけないと考えたんだろう……くそッ!」
  レヴィンは水路の壁に拳をたたきつける。
「ラビスはレヴィンの事。友達と見てくれていたのね」
「騙して裏切ったんだぞ? もう、顔も合わせられねぇよ……」
  私は優しくレヴィンの肩を抱いてやる。
「私も一緒に謝ってあげるわよ」
「……ああ、すまねぇ……」
  私が入ってきた水路の入り口は見えている。一人一人が直列になって進んでいく。ふいに入り口付近に影が差した。一人ではない。無数の影が蠢いている。
「敵か?」
  リフィルを庇いつつ鞘に手を掛けるレヴィン。私は口に人差し指を当てる。私の耳には聞きなれた声が届いている。ユーリにボブ爺さん……。
「〝カーヴァンクル〟の子達よ!」
「本当か!?」
  水路から声を掛けると子供たちはすぐに気がついた。水路の外へ出ると完全武装の採集隊〝カーヴァンクル〟が揃っていた。ボブ爺さんは薬箱を抱えて、背中にはエリンを背負っていた。ユーリもボブ爺さんの持ちきれなかった荷物をまとめて担いでいる。
  一人も欠員はいない。怪我をしている子も忘れていない。それでいて迅速な行動が取れている。退路の確保も万全。まさに言う事なしだった。
「俺やフィレスがいなくても〝カーヴァンクル〟はしっかりしているな。お前らはもう一人前だよ」
  レヴィンは嬉しいやら寂しいやら、微妙な笑顔で子供たちの頭を撫で回している。私も似たような気分だ。なんだか涙ぐんできてしまう。
  どこからか獰猛な獣の唸り声が聞こえてきた。私も子供たちも周囲を見渡して姿を探す。付近にいるようでここではまだ安心して話していられない。
  ボブ爺さんはしゃがれ声を引きつらせて赤く彩られた空を指差す。
「スラム街も、旧市街も、オラヴィ市街も火の手があがっとる。それにの。そこらじゅうが魔獣だらけじゃ! ちょいと楽器や剣が扱える程度じゃ話にもならんぞい!」
  ボブ爺さんが私とレヴィンの背中を叩いて水路を指差す。
「お前らもワシらと逃げるんじゃい!」
  レヴィンはやんわりとボブ爺さんの腕を振りほどく。
「悪ぃんだけど。それはできないんだ、爺さん。ラビスが攫われちまった。助けなくちゃいけない」
「なんじゃとぅ……」
  レヴィンの言葉にボブ爺さんは驚き目を見開く。私もボブ爺さんの腕を取って告げた。
「私も。ラビスは親友だから」
  レヴィンはリフィルをユーリとボブ爺さんに預ける。皆が心配そうに見つめる中で私とレヴィンはオラヴィの街に残る事を決意していた。
「爺さんたちは地下水道を通って街の外へ出るんだ。途中は警戒しろよ? 魔獣が入り込んでいるかもしれないからな」
  皆を地下水道へ見送ってからも私とレヴィンは入り口に突っ立っていた。追っ手を入らせない意味もあったし、勇気を奮い立たせていたともいえる。少なくとも私は怖れぬ心が欲しかった。
「ラビスが攫われた場所はわかるのか?」
「いいえ。でも、イルシェの向かった先ならわかる。そこへいきましょう」
「おっけ! わかった。案内は任せたぜ」
  私とレヴィンはライナスの屋敷を目指して翔け出した。
  オラヴィの街は戦場と化していた。いや、戦いですらないのかもしれない。魔獣と傭兵たちの戦い。一方的な捕食としかいえない。魔獣たちは建物を揺さぶりほじくり返し人々を貪り食っている。悲鳴と怒号、咆哮と奇声が聞こえてくる。
  対岸の砦はワイバーンやグリフォンといった魔獣に襲われているようだ。火が回り完全に燃え上がっているのが見える。海上に出ている武装船はカリュブディス呑みこまれている。空中で応戦する武装帆翔船はホーネットやドラゴンフライなどの巨大昆虫に集られて墜落していく。オートマター連隊の操る魔獣の前では全く歯が立たない。
  地獄の光景とはまさにこの事だ。
  子供と女性の悲鳴が聞こえた。キャリオン・クローラーに捕まった女性が生きたまま丸呑みされる。その真下には泣きじゃくる子供がへたり込んでいた。
「この!」
  私は家々の間に鎮座するキャリオン・クローラーに目掛けて矢を放つ。二本射ち、三本射ちでたちまちハリネズミのようにしてしまう。次なる矢を求めて矢筒を手繰る。
「もうないの……!」
  私は翔けていた屋根から下りた。道に落ちていた矢筒と槍を拾い上げる。槍は持ち主のない腕が絡みついていたけれど、構わず私は槍を握り締める。屋根に舞い戻りキャリオン・クローラーに投げつけた。
  私にはドライアドの力が宿っている。凄まじい膂力で放たれた槍はキャリオン・クローラーの柔らかい肉を食い破って貫いた。腹の底に響くようなおぞましい声を上げてキャリオン・クローラーは絶命する。
「馬鹿やろう! 危ないぞ!」
  横合いからレヴィンが体当たりをしてくる。腹に腕を回されて私は屋根に倒された。私とレヴィンは丸まって屋根の上を転がっていく。吹き降ろす暴風が全身に叩きつけられる。
  滑空してきたワイバーンの奇襲だ。獲物を狩り損ねたワイバーンは耳障りな吼え声を上げて夜空高くに上昇していった。
「もう無理だ、あきらめろ。先に進む事だけを考えろ!」
「私は子供を助けたいのよ!」
「子供はもう死んでる! 見ろ!」
  キャリオン・クローラーから助けた子供は後から現れたパイロドレイクに食い殺されていた。パイロドレイクは次の獲物を探して首をめぐらせている。私は無我夢中で突進していこうとする。だが、レヴィンは許さない。
「助けられる奴は両腕で抱えられるだけにしろよ。他の奴を助けてたら、ラビスを助けられなくなるぞ」
  魔獣の群れは森から現れて、スラム街を通って旧市街へ雪崩れ込んできている。海上の魔獣は陸上には上がってこないと思うけれどオラヴィ市街まで魔獣が押し寄せるのは時間の問題だった。
「強い力が欲しいわ……目に映る人をすべて救えるような、途方もない力が……!」
  私は一目散にオラヴィ市街へ走る。悲鳴も助けも無視して屋根を翔け続けた。
  真上に気配を感じた。私とレヴィンの姿を追ってワイバーンが急降下してくる。
  細長い首に細長い猛毒の尻尾、蜥蜴の図体に皮膜の翼を生やした生き物だ。翼を広げた大きさは小さな教会くらいなら囲える。鋭い鉤爪と牙も脅威である。ただし、目がないため音と熱を敏感に察知する。
「横に飛んで!」
  私とレヴィンはタイミングを合わせて左右に飛び退いた。ワイバーンの巨体が屋根板にのしかかる。鋭い爪に屋根板が剥ぎ取られる。細切れになった木切れが粉塵のように舞い上がった。
  私は弓を放つ。大気を引き破る風切り音がワイバーンの首に突き刺さる。レヴィンは横から回り込んで毒針を持つ尻尾を一刀の下に切り落とす。ワイバーンの怒りの咆哮が耳を打つ。
  ワイバーンは屋根から飛び立つ。ふたたび夜陰に紛れてしまう。レヴィンは走る速度を緩めないまま悪態をつく。
「クラーケンもそうだけどよ、あんな巨大な生き物のどこを狙えば倒せるって言うんだ……目玉でもあれば狙いやすそうだけどな」
「全身に槍を突き立てるか、なます切りにするか、弓矢や鉈剣くらいじゃ歯が立たないわね」
  私が屋根板を跳び越えると、オラヴィ市街を囲い込む高壁が見えた。詰め所には無数の傭兵の姿がある。高壁の上に着地して私は歓喜の声を上げる。
「やた! オラヴィ市街についたわ!」
「全然良かない! ワイバーンがついてきてる!」
  私とレヴィンが高壁を蹴るのと壁を破砕する轟音が背中で聞こえたのは同時だった。宙に浮かびながら旋回して後ろを見やる。
  ワイバーンは高壁を突き破り地面に降り立っていた。体当たりで詰め所を粉砕して待機していた傭兵たちを押し潰したのだ。ワイバーンは獲得した獲物を食すことで頭が一杯で私たちを追う余裕はないようだった。
  戦争の真っ最中であってもオラヴィ市街の華やかさは失われていない。ソウル・アスピアの灯りが宝石のように輝いている。ただ、御者の姿や人影はない。大通りでは傭兵が樽や木箱を積み上げて即席の防壁をつくりあげている。ある者はたいまつと矢をそろえて走り、ある者は投槍を抱えて立て掛けている。
「市街はまだ攻め込まれていないのね……」
「そうでもないぞ。東側から火の手上がってる、パイロドレイクが何匹も入り込んでいるぜ。あと俺らの出会ったビヒモスも」
  市街の東側に目を向ける。赤銅色の肌をした巨体と全身から炎を噴き上げる亀のような竜が、商人の屋敷を叩き潰して焼き払っている。でも、ライナスの屋敷は中心部だからまだ余裕はありそうだ。
「どこへ向かっているんだ?」
  レヴィンには事情を説明していないから状況が把握できていない。いささか不安げに瞳を曇らせている。
「大商人の屋敷よ。細かいことは説明している暇はないけど、そこにいる女性をイルシェは狙っているの」
「わかった。女性を守りつつイルシェからラビスの居場所を聞き出せばいいわけだ」
  物分りのいい戦友で助かる。私はレヴィンの人柄に十分満足していた。
  ライナスの屋敷は戦場から離れているはずなのにすでに嵐が吹き荒れたような有様になっていた。庭は木々が倒れて芝が掘り返されていた。屋敷の一部が崩落して火が出ている。
「屋敷の中へ入りましょう」
  玄関扉は内側に倒れていた。私とレヴィンが続けて入る。玄関口の階段は焼け落ちている。絨毯に火が燃え移ってしだいに屋敷を舐めるように包もうとしている。
  人の手に寄る破壊ではない。ニンフの力を使ってこのような破壊の痕がうまれたのだろう。アイディスはすでに到着しており誰かと戦った事を如実に物語っていた。
「フィレスか……どこへ行っていた」
「ライナス!」
  廊下の奥からライナスが歩いてきていた。左足を引きずって壁に寄りかかりながら進んでいる。私は走りよってライナスを抱きとめる。レヴィンは素早く怪我の状態を見て使えそうな衣服を切り裂いて巻き始める。応急処置だ。
「護衛の君がいなくなってどうするんだね? まったく、ヴァルデマル帝国兵を二人も倒したらこんなざまになってしまったよ。減俸ものだぞ」
  あっさりと言う割りにはとんでもない事を言う。玄関や庭の惨状を見る限りではオートマターを倒すなんて簡単な事ではないはずだ。私とレヴィンの場合は不意打ちだったしね。私は軽口を叩いて応じる。
「そいつは勘弁してもらいたいわね……、強力な助っ人も連れてきたんだしね。アイディスはどこにいるの?」
  ライナスは震える指先で屋敷の左奥を指差した。
「イルシェと名乗る指揮官と戦っていた。廊下を進んでいたから……たぶん、音楽室だと思うが。君とアイディスが演奏をしていた広間だ」
「わかったわ。援護してくる」
  私は立ち上がるが、レヴィンは応急処置が済んでいなかった。思い出したようにライナスがレヴィンに話しかける。
「君がレヴィンか?」
「おう。……悪いけど雇われる気はないぜ。あんたやアイディスって女がどうなろうと知った事じゃないんでね。俺は親友を助けたいだけだ」
  レヴィンは冷たく突き放す。レヴィンにとって商人というものはできる限り関わり合いになりたくないものとして捉えている。スラム民である意識の高いレヴィンには根強く嫌悪感が残っているのだろう。
  ライナスは残念そうにため息を漏らした。
「それは残念だ」
  ライナスの治療を終えると、私とレヴィンは音楽室の広間へと駆けていった。長い廊下を駆け足で進んでいるときにレヴィンに問いかけた。
「いつものレヴィンだったら商人が怪我をしていても助けないわよね。どうして手当てをしてあげたの?」
「フィレスが護衛をしようとする商人だからな。俺が思っているような人間じゃないんだろ? だから助けてやっただけさ。お前が気にかけないやつなら放っておくよ」
「そう。ありがとね」
「……気にすんな」
  レヴィンは照れ隠しに顔を背けてしまう。レヴィンの様子を微笑ましく観察していたけれど、廊下の先にある広間から聞こえてきた轟きに気持ちを引き締める。
  私とレヴィンは武器を構えて広場へ踊りこんだ。
  広間の真ん中ではイルシェとアイディスが至近で見合っていた。すでに広場の天井を落ちている。ソウル・アスピアの楽器は砕け散っている。ピアノとオルガンは原形を失って隅に転がっていた。
  私たちの姿にイルシェは片手を軽くあげた。驚いているようだった。
「おやおや……、またもや予想外だな。クラーケンを退けるとは思っても見なかったぞ、フィレス。レヴィンも生き残っていたとはな」
  飄々とした態度を崩さないイルシェにレヴィンは苛立っている。鉈剣を突きつけて怒鳴り声を上げる。
「ラビスをどこへやりやがった!」
「すでに海上の旗艦に運びこんだ。奪還は不可能だ」
  私はレヴィンの横に並ぶ。弓を番えて身構える。頭を振って口を開く。
「あんたを倒せば話は別でしょ?」
  止まっていたアイディスも身じろぎする。不用意にな動きを見せれば三人が同時に襲い掛かるぞと警告しているのだ。初めてイルシェの頬が引きつった。
「……案外、冗談には聞こえない所が困る。だが!」
  イルシェは一息で庭へと飛び出す。私とレヴィン、遅れてアイディスも後を追う。
「こちらも切り札を用意している。ティファート王国殲滅のためだったが、威力の程も試しておかんとな! 貴様らで試してやろう! 伝説の吟遊詩人が奏でた魔獣……霊獣〝ティアマット〟の力を――ッ」
「ティアマット――!?」
  イルシェはいつの間にか現れていたオートマター部隊に命じた。
「やれ!」
  オートマター部隊は一斉に踊り始めた。荘厳なパイプオルガンの音が鳴りわたり、ハンドベルの透き通る音が聞こえてくる、ピアノの音とヴァイオリンの音も重なって聞こえてくる。
「演奏を止めるんだ!」
「させぬよッ!」
  アイディスは長剣を引き抜く。凄まじい剣筋だ。弧を描くような切っ先は目にも止まらずレヴィンを切り伏せた。レヴィンは浅く足を切り裂かれて呻き声をもらした。イルシェは長剣を振り下ろす。私は弓を捨てて短刀と引き抜く。レヴィンとイルシェの間に割って入り、振り下ろされる凶刃を受け止めた。
  火花を散らす刃を挟んで私とイルシェは叫びあう。
「こんな曲で伝説の霊獣が奏でられるはずがないわ……!」
「知らぬのか! ソウル・アスピアの楽器はアスピアの楽器でなくても簡単に霊獣を行使できるように生み出された楽器なのだ。パイプオルガン、ピアノ、ヴァイオリン……貴様の身に着けているガントレット型のピアノも同様だ! ニンフを奏でるのに心を通わせる必要などないのだ。兵器に感情はいらん!」
  競り合いで押し負ける。よろめいた刹那にイルシェのつま先が私の腹部に叩き込まれた。体を突き抜ける鈍痛と肺腑のえぐられるような衝撃に息が出来なくなる。激しく咳き込んだ。
  隙を見てアイディスがサラマンドラの炎を浴びせかける。だが、逆にイルシェのウンディーネが噴射した水に弾き飛ばされてしまった。アイディスは立ち木に背中を打ち付けて倒れ伏した。
  強い……アイディスはオートマターの中でも段違いの強さがある。魔獣のように頭が悪ければ対処のしようもあるけれど、これでは勝てない。
「ついに奏でられるぞ――! 神話に謳われる炎と闇を生み出す霊獣〝ティアマット〟だッ!」
  イルシェの喜びの声につられて天上を見上げる。いつのまにか星は消えていた。巨大な闇が空を覆い隠していた。
  突如。闇に染まった空が炎の嵐に包まれた。真昼間のような明るくした炎は大爆発を起こす。天が裂け黒い影が炎を突き破って姿を現した。
  黒い影はオラヴィの街の上空で大きく翼を広げる。大気を震わせるような咆哮を轟かせた。
「ドラゴン……」
  私は雄叫びを上げる超常の生物を一言で表した。
  全身は漆黒。全体的に蜥蜴とよく似ている肢体だが、直立できている。全身は外殻に覆われており引き締まった体格をしている。爪、牙、角、は鋭く捕食者であることは間違いない。
  爬虫類のように細い虹彩には知的な光が宿っていた。ティアマットはライナスの屋敷の向かい側にある建物に降り立つ。腕を組み私たちを睥睨していた。
『お前たちが私を奏でたの?』
  オートマター部隊は居竦んでしまって一歩も動けない。怯えた目でティアマットを見上げているだけだ。私を含めて、レヴィンやアイディスも様子を窺っていた。イルシェだけが平然とティアマットに呼びかけた。
「そうだ。私たちが奏でた。命令に従え」
  ティアマットは口の端を緩めた。笑っているのだろうか
『そっかぁ、へぇ……アスピアもなっかなか棲みよい世界を創ったのねぇ……っくっくっく』
  厳しい竜の存在と違ってティアマットは軽い性格をしている。話しぶりも私たち若者のような感じだ。
『じゃあ、吟遊詩人さん? とりあえず私は何をすればいいのかしらね?』
「ふ、そうだな。この街を破壊しろ」
『へぇ、わかったわ。壊せばいいのね』
  ティアマットは翼を大きく広げた。空を半分隠すような翼を広げたまま、両腕と尻尾を波打たせた。
  尻尾からは重厚なチューバの低音が、両腕からはトランペットとトロンボーンの高音が夜空へ鳴りわたった。そして、ティアマットの全身からありとあらゆる金管楽器の音が広がった。
  ティアマットは一人でオーケストラを演じていた。
「ティアマットも全身が楽器でできているの……」
  息苦しさが治って私はゆっくりと立ち上がる。ティアマットの演奏はこの上もなく甘美で腹の底から湧きあがるような感動を与えてくれる。その場に居た全員がオーケストラの演奏に聞き惚れていた。
  異変が起きたのはそのときだった。
  夜空に閃光が瞬き、無数の光となって破裂した。真っ赤に燃え上がる岩塊が天空を染め上げて降り注いできた。隕石雨はオラヴィの街に直撃した。
  すぐ真横に落ちてくる岩石を横跳びに回避する。飛び散る岩石と土砂を風の壁で守る。しかし、ちょうど真後ろに落ちてきた岩の爆風に煽られて吹き飛ばされた。
「つかまれ!」
  レヴィンに抱き寄せられて物陰に連れ込まれる。アイディスもすでに屋敷に逃げ込んでいる。
  驟雨の如くとはこのことだ。間断なく打ち込まれる天空からの岩はオラヴィの街を粉々に打ち砕いていく。オートマター部隊のいた屋敷は集中的に隕石が落下している。全滅だ。
  イルシェは果敢にも隕石雨の中を移動して、ティアマットに話しかけていた。
「やめろ! 我々まで殺す気か!?」
『くはははははは、知った事ではないわね。死にたくないなら踊りなさい。踊っていれば避けられるかもしれないわよ。華麗なステップでね……あっはっはっはっは』
「馬鹿な……なぜ命令をきかぬ――!」
  ティアマットは蔑みの目でイルシェを見下ろして言った。
『命令ですって? よくわかっていないようだから教えてあげるわぁ。私たち霊獣はあなたたちの演奏によって奏でられることで、この世界にやってくることができる。演奏は門のようなものよ。ただ演奏すれば門が開くわけじゃないわ。私たちが人間と仲良しこよしにならないと世界にたどり着けないようになっているの。忌々しい事にアスピアがそういう風に世界をつくったからね。でも、あんたたちは強制的に私たちを奏でる門を開いた。あんたたちの使う楽器もそうだけど、演奏の力に負荷をかけて強制的に門を開けさせた。だから私が来れたわけ。お分かり?』
「貴様は、どうしてこの世界に来たのだ……!」
『あぁん? さぁねぇ、せっかく来たんだから楽しんで帰るわ。アスピアは憎たらしい奴だからねぇ、テキトーにぶっ壊してみようかしら?』
「おのれ……!」
  イルシェは憤怒の表情のままティアマットへ斬りかかろうとする。ちょうど死角から隕石が飛んでくるのに気がついていなかった。
「危ない、避けて!」
  私は絶叫を上げる。イルシェが気がつき、愕然とする。身を捻って隕石の起動から逃れようとする。だが、遅かった。イルシェの細い体は隕石に弾き飛ばされた。
  イルシェの体はごむ鞠のように撥ねて芝生を転がった。幸運だったのは私たちの隠れている屋敷の方へ飛ばされたことだ。私とレヴィンは急いで駆け寄って屋敷まで引きずりこんだ。
  いざり寄るアイディスがイルシェの肩を抱く。
「イルシェ……」
  全身は擦り傷だらけで衝撃でローブはズタボロになっている。でも、辛うじて直撃を免れたためか骨折や内蔵の損傷はなさそうだった。
  イルシェは全身を苛む激痛に耐えながら罵り声を漏らす。
「おのれ……、ヴァルデマル帝国も研究途中の課題を実験代わりに押し付けてくれる……ものの見事に失敗ではないか……」
  これだけの騒ぎにしておいてまだそんな事言うとは。いっぺん殴ってやろうかと殺意が湧く。だが、こめかみに血管が浮いているのはレヴィンも同じだった。
「自業自得じゃねぇかよ。てめぇのせいでとんでもない化けもんが暴れまわってるんだぞ」
「うむ。その事に関しては弁明しようがない」
  いけしゃあしゃあと言い放つ。
「でも、本当にどういたしましょう。このままでは世界を滅ぼされてしまいそうではありませんか」
  この屋敷も持ちそうにない。運よく直撃していないだけで屋敷の一部が崩落している音が聞こえてくるのだ。
  私は哄笑するティアマットを睨みつけながら口を開く。
「倒しましょう……!」
  呆れた口調でイルシェが口を挟む。
「あんなものを倒せる武器はこの世に存在せん」
  そして、予想外の方角から……、私たちの背後から凛とした声が聞こえてきた。
「ティアマットよりも強い霊獣を奏でればいいんだよ」
  全員が驚愕に振り返った。そこに立っていたのは紛れもなく、
「ラビス――ッ」
  私は嬉しさのあまり飛びつくようにしてラビスに抱きついていた。ラビスは勢いにふらつきながらも受け止めてくれる。亜麻色の髪の感触を感じていると、ラビスが優しく抱きしめ返してくれた。
「あはは、心配かけてゴメンね」
  私の肩を叩き、レヴィンと拳をあわせる。アイディスだけはどこか置いてきぼりで寂しそうだ。珍妙な顔をしているイルシェはラビスに訊ねていた。
「どうやって抜け出した? 旗艦には厳重な監視を命じておいたはずだが」
「別に簡単だよ。それと、ティアマットの放った隕石雨にやられてヴァルデマルの軍船はすべてやられちゃったよ。海の船も空の船もね」
  イルシェは頭を抱えて壁に寄りかかる。イルシェはオートマター連隊を任されているのだから責任は重大だ。部隊を壊滅状態にしてしまった責任は重いのだろう。
「ところで、ラビス。強い霊獣を奏でるってどういうこと?」
『オレ様みてェな強ェ奴を奏でろってことだぜ。ティアマットをぶちのめすにはそれしかねェだろうよォ!』
  ガラの悪い声が沸いてレヴィンやアイディスはぎょっとしてたたらを踏んだ。私は声の主を知っているからそれほど驚きはしなかった。
「僕の友達なんだ、紹介するよ」
  ラビスが腕を振ると拳大の火の玉が虚空に現れた。火の玉は爆発するように広がると燃え盛る巨大な鳥の姿になった。ゴウッと押し寄せる熱気に私とレヴィンはたじろいだ。
『ラビスのベェストフレェンドォ、霊獣〝フェニックス〟だ。よろしく頼むぜェ』
「じゃあ、フェニックス。足止めお願いするよ」
『任せとけェ……とカッコつけて行きてェんだが、あのティアマットの姉ちゃんは強ぇ。オレ様よりも年増だからな。まぁ、止められてもちょいとの間だけだろ。トークで間を持たせるから早く何とかしてくれよな』
  フェニックスは器用にウインクをしてみせると、ノシノシと尻を振って外へ歩き出した。
  世界の終わりもかくやと言うときに、なんとも緊張感に欠ける切り込み隊長のお言葉だ。
  フェニックスがいなくなってから最初に噴き出したのはイルシェだった。
「ふ、神話に謳われる霊獣とは想像していたものとずいぶん違うようだな」
「確かに。あんなはっちゃけた奴と伝説の吟遊詩人は旅してたのかよ?」
  イルシェとレヴィンは他に言葉が浮かばないというように手を宙に放り投げた。アイディスだけは違って瞳をキラキラと輝かせてフェニックスの消えた方向を見つめている。
「あれはあれで楽しいとは思いますわ。わたくし、大変気に入りました」
「どうかしらね~?」
  私もフェニックスの口の悪さには辟易としていた。もう少し高尚な人格かと思っていただけに伝説とはつくづく当てにならないものだと実感した。
  伝説の霊獣を立て続けに見た興奮から話が盛り上がる。それを遮ってラビスの声が緊張感を呼び覚ます。
「フェニックスの時間稼ぎが持つまでに合奏をして霊獣を奏でようよ」
  と、言われても霊獣を奏でた経験などない。手順がわからない。
「具体的にどうすればいいのさ?」
  ラビスはあっさりと言い放つ。
「フィレスが霊獣を奏でるんだ」
「っちょ、私が!? 無理よ、そんなの……!」
  いきなり鉢を回されて仰天してしまう。実力的にはラビス、アイディス、イルシェ、と凄腕の楽士が揃っているのに何故に私に話を振るのだろう。
「この中で一番心を繋ぎやすいのはフィレスなんだ。フィレスはここにいる全員を知っている。僕やレヴィンはそちらの二人の方はまったく知らないし」
「同感だ」
  レヴィンとイルシェが合唱する。思わぬハーモニーに二人が共に嫌そうな顔をしてみせる。不覚にも吹きだしそうになった。アイディスは背中を向けて肩を震わせている。
  ラビスは気にせずに先を続ける。
「フィレスを主旋律にして、レヴィンと僕が副旋律。二人が僕の副旋律をカバーしてくれればいい。僕と同じ体なんだからできるでしょ?」
「ああ……」
  イルシェは了承する。だが、配置に付こうとする皆にストップをかけた。
「ちょっと待て……ちょっとだけ待ってくれ」
  イルシェは真剣な表情でラビスを見つめている。
「一つだけ聞いておきたい。ラビス、お前は何者なんだ? 私とアイディスはオートマターだ。製造番号が腕にある。しかし、お前にはなにもない。オートマターですらない! それなのに、なぜ、全身が楽器でできているのだ? それにだ。フェニックスを連れているのも不可解だ。オートマター部隊数名で奏でた霊獣を一人で奏でることができたのは何故だ? 教えてくれ」
  ラビスはなんでもないことに様に語り始める。
「女神アスピアは世界を創り終わったあとに自分とまったく同じ姿を持った人間を二種類生み出した。一つはフィレスやレヴィンみたいな普通の人。もう一つは女神アスピアと同じからだの仕組みを持つ人。……僕は、〝奏でるもの〟の末裔だよ」
  広場に異様な沈黙が垂れ込める。私は恐る恐る訊ねる。
「〝奏でるもの〟は戦乱で数百年前に死に絶えたって聞いているけど」
「森の中で隠れてすんでいた人々がいたんだよ。ヴァルデマル帝国は〝奏でるもの〟を捕まえて解体して研究してオートマターを造り上げたんだ」
  アイディスは悲痛な声を上げて首を振る。
「そんなこと……わたくしたちは知りませんわ……!」
「私も知らぬ。ヴァルデマル帝国の中枢にはまったく関わりがないからな」
  知っていようと知っていなかろうとアイディスやイルシェに罪はない。ヴァルデマル帝国の暗部というやつだ。そんなことよりもラビスの目的の事が私は気になった。
「じゃあ、ラビスがヴァルデマル帝国へ向かうのは?」
「僕の村がヴァルデマル帝国に襲われて父さんと母さんが連れて行かれたんだよ。だから、取り戻しに行くんだ。もし皆が殺されてしまったなら、僕は世界で最後の〝奏でるもの〟になってしまうんだ」
  俯くラビスの腕を取り、しかと握り締める。
「そんな事はさせないわ。私はラビスを助けてあげる。私を助けてくれたように……! ラビスの支えになってあげるから」
  ラビスは何かを考え込んでいた。ラビスの頬には一滴の涙が零れ落ちていった。服の裾で涙を拭い、ラビスは私の手を握り返した。
「……ありがとう、フィレス。あの森でフィレスに出会えたことを僕は一生感謝するよ……」
  たった一人でヴァルデマル帝国から逃げ出して、そのまま人知れず旅をしていればよかったかもしれない。でも、救い出さなくてはいけないと思い詰めていた。たった一人でヴァルデマル帝国に立ち向かおうとしていたのだ。いつ捕まるか知れない不安とも戦わなくてはいけない。それがどれほど心細い事か。
  私はこの手を離しはしない。ラビスの心の支えになりたいと強く思った。
  ラビスが落ち着きを取り戻したのを見計らって、フィレスが仕切りはじめた。フェニックスの時間稼ぎも大丈夫なのか不安だ。
「よし。段取りの役で演奏するとしよう。なにを演奏するのだ、フィレス?」
  どうすればいいのかと目でラビスに訴えかける。
「曲は何でもいいんだ。あとは僕たちの力次第だから」
「それならば。〝霊獣たちの賛美〟にでもしようかしらね……、いくわよ」
  私はガントレット型のピアノを水平に持ち上げる。レヴィンは口元にソウル・アスピア製のフルートを当てた。
  ラビス、アイディス、イルシェ、はまったくの同じ姿勢で直列に並んだ。踊り子のような優美な仕草で私の出だしを待っていた。
  準備が整った事を確認して……私は指を滑らかに滑らせた。音階を確かめていくよう旋律は小川のせせらぎを想わせる音色だった。レヴィンのフルートが続いて、ラビスの木琴、アイディスのヴァイオリン、イルシェのチェロ、が追いかけてきた。五つの楽器が奏でる冷たい空気を孕むメロディが響きわたった。
  演奏をはじめるとすべての騒音が掻き消えていく。
  本当はそんな事などない。けれど、私は奏でられた旋律だけの世界に包まれていた。ラビスたちの舞いに見惚れながら、レヴィンのフルートを眺めて、すべてが止まっているような幸せな時間。この上もなく楽しい時間。この三日間に触れ合ってきた人との交わりがわだかまりなく溶けていく感覚。
  最後の音を落として演奏が終わった。
「何も起きない……わ、ね?」
「しくじったのか?」
  呆然としている私たちの真ん中にグッタリとしたフェニックスがどさりと落ちてきた。そして黒い巨体が翼を収めて着地した。大地をひび割れさせるほどの地響きに私は膝をついてしまった。
  足で踏みつけられているフェニックスが息も絶え絶えの調子でティアマットを罵倒する。
『くそったれめェ……重てェんだよ、年増。痩せろ!』
  フェニックスの体を纏っていた炎は弱々しい。フェニックスだから死ぬ事はないのかもしれないけれど弱ったりするのかもしれない。ティアマットはフェニックスを爪で捕らえたまま踏み潰そうとしている。
『ガキの分際で粋がるからだよ、ふん。私に勝てるやつなどいやしないさ。この世界にはね』
  低い笑い声が聞こえてきた。失笑、というような思わず相手の言った事が馬鹿らしくて笑ってしまったような感じだ。ティアマットは踏みつけているものを見やるが、フェニックスはくちばしを振って否定する。
『誰よ? 姿を見せなさい。八裂きしてやるから』
『いや、失礼した。ずいぶんな自信のようだ』
  聞いたことのない男の声が聞こえてきた。床をカツンカツンと歩いてくる音がしている。少なくとも四本足の動物が二匹はいる足音だった。大理石の床を歩く者を探して私は視線を彷徨わせた。
『その言葉をそっくりそのまま返そう。我輩もこの世界であれば敵などおらぬ、お主を含めてな』
  屋敷の残骸を跳び越えて現れたのは黄金のたてがみに黒い肌の馬だった。ただの馬ではなく足が八本あった。八本の足を器用に動かしてティアマットの前に立つ。
『霊獣〝スレイプニル〟……ッ! 貴様、どうやってここに……!?』
  普通の馬と比べればスレイプニルは二回りは大きいが、ティアマットと比べるといささか見劣りがする。本当に勝てるのか見ていて不安になってくる。しかし、人は見掛けによらないというように霊獣も当てはまるようである。ティアマットは狼狽し、フェニックスから足を退けて半歩下がった。フェニックスは羽をはばたかせてラビスの傍に降り立つ。
『答えろ! スレイプニル!』
  すると、スレイプニルは私の傍に歩み寄る。
『この黒髪の少女に奏でられたのだ、我輩の力が必要だと感じたからこそ、この場に馳せ参じた。覚悟せよ』

『ちぃ……ッ、フェニックスは時間稼ぎか。味な真似してくれんじゃないのさ!』
  ティアマットは力強く大地を蹴る。巨体を宙へ舞い上げると翼を広げた。空中でスレイプニルを迎えうとうとする。
  スレイプニルは私に問いかける。
『少女よ。あのティアマットを倒してしまっていのか?』
  そのために奏でたのだ。一にも二もなく頼んだ。
「お願い」
『承知した』
  スレイプニルは一声嘶きを上げて棹立ちになる。黄金色のたてがみをはためかせて夜空へ翔け上がっていった。凄まじい上昇で光線となると天を旋回するように弧を描く。加速に加速を重ねて輝く光の筋となった。
  ティアマットも負けていない。大きく口を開き息を吸い込む。喉の奥から灼々と煮えたぎる光を解き放つ。超高熱の閃光は夜空を切り裂いて太陽のように煌いた。
「くッ」
  私は眩い光から目を守るべく手の平をかざした。
  ティアマットの吐いた閃光は確実にスレイプニルを射抜くはずだった。天上を旋回するスレイプニルの光の筋は、天に向かって伸びる灼熱の閃光に一直線に特攻していく。
  光の筋との灼熱の閃光が交叉する。一瞬。灼熱の閃光は光の筋に弾かれて細かに散ってしまった。ティアマットの口から慄きの声が漏れた。スレイプニルは加速する。光の筋はティアマットを空中で射抜いた。
  ティアマットは断末魔の咆哮を上げると、千の光に散って万の粒子に砕けた。倒したのだ。
  勝利に沸きあがる私たちの下へスレイプニルが戻ってくる。勝利を運んできてくれたスレイプニルに私は真っ先に礼を言った。
「ありがとう……。あなたがいなかったら死んでいたわ。助けてくれて本当にありがとう」
  スレイプニルは私に鼻面を押し付けると鼻を鳴らした。
『お前の声に応えたと言うことは〝友〟として認めた証。気にするな。だが、少々力は及ばなかったようだな』
「どういうこと?」
  怪我をしたのかと思い、スレイプニルの体を見る。スレイプニルの体は光の礫に変化していた。足から徐々に消えようとしている。
『我輩の力が消えかかっている。この世界に留まる事はまだ許されていないようだ』
  首を傾げてしまった私に代わってラビスが説明してくれた。
「それはフィレスの力を僕たちの力で補助したからだね。フィレスが一人でスレイプニルを奏でてあげなければいけないんだ」
  八年くらいの修行じゃまだまだ足りないということか。でも、手伝ってもらえば奏でることができるのだ。私も伝説の吟遊詩人と肩を並べる事ができるのかもしれない、という期待に胸が興奮のあまり破裂しそうだった。
「そっか……じゃあ、次は私一人で演奏を完成させないとね」
『その日が来ることを、霊獣の住まう世界にて待つ事にしよう。さらばだ……』
  スレイプニルは光の粉となって消えていった。スレイプニルの立っていた場所に光の余韻が残っている。
『オレ様もそろそろ休めさて貰うぜェ。疲れたからな。後は適当にやってくれや、ラビス』
  勝手に捲くし立てたフェニックスはラビスの中へと消えてしまう。ラビスは髪の毛を掻きながら苦笑いを浮かべていた。
  そこへ。一番かやの外に置かれていた屋敷の主が登場した。
「おいおい……派手に壊してくれたじゃないか。酷い事になっているな」
「ライナス! あんまり動いてはいけませんよ、傷に障ります」
  即席の杖をつきながらライナスがこちらへ歩いてくる。アイディスが肩を貸そうと走り寄っていった。アイディスとライナスの会話を遠めに聞きながら腕を組んで立つイルシェに話しかけた。
「イルシェ、あんたはこれからどうするの?」
  呆っとしていたのか。目をぱちくりとさせてから答える。
「私、か……? 私は、確認してみなくてはわからないだろうが……オートマター連隊は壊滅だろう。それに旗艦が墜ちたら単独でヴァルデマル帝国へ戻るように指示されている」
「それじゃ帰るの?」
  イルシェは苦々しい表情で首を振る。
「オートマターの機密を保持する任務と都市国家群を占領し支配下に治める任務を遂行できないばかりか、部隊を壊滅させてしまったのだ……極刑は免れん。軍を抜けるよりほかあるまい。妹は手紙を寄越してこちらへくるように言うしかない」
  私はラビスとレヴィンに一声掛ける。
「私らも帰ろう。私たちの家にさ!」

Sound of Soul -奏でるものたちへの賛歌- 第九章

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