終章

私はライナスの屋敷で一枚の手紙を読んでいた。
  商人の妾だったラーラから寄越された手紙だ。ラーラはオラヴィの街を襲った隕石雨で主人を亡くしたらしい。店の切り盛りの仕方はわかっているそうなので他の商人に仲介してもらって別の街で料理店を開くつもりらしい。
  私は仲間の門出を祝いつつ手紙を折りたたんでポーチへ入れた。
  寝台に横たわっているイルシェが確かめるような口調で話しかけてきた。
「本当に行ってくれるのか?」
「ええ。イルシェだって頼んだじゃない?」
  イルシェにしては珍しく歯切れの悪い調子だった。
「それは、そうなんだが……。私の妹とアイディスの弟をヴァルデマル帝国から連れてきてくれるなんて頼んでいいものか、わからなかったのだ」
  イルシェは三日前の霊獣との戦闘で足を折っていた。折れた足でヴァルデマル帝国へ妹を迎えに行くのは無理だ。そこで私とラビスがヴァルデマル帝国へ目指すついでにイルシェの書いた手紙を妹に手渡すことになった。
「しかし、フィレス。念願のアーティストへなることができるのに。それも蹴ってしまうのか?」
「そうですよ。アーティストの資格だけでも貰っておけばいいですのに……」
  イルシェの療養している部屋には、ライナスとアイディスもいた。別れの挨拶にきた私は三人が揃っている部屋で事情を説明したのだ。
「アーティストになるのは子供たちのためが大きかったのよ。でも、ライナスが報酬を払ってくれたからその夢は必要なくなったわ」
  アーティストへの推薦を邪魔していた大商人メローネはオラヴィ市街へ侵入したキャリオン・クローラーの群れに護衛ごと食い殺されていた。晴れて邪魔者は消え去り私はアーティストへなれる事になった。でも、ライナスがアイディス護衛の報酬を支払い、スラム街に教育施設と孤児院、さらにボブ爺さんの施療院を併せた〝フィレス音楽院〟なる建造物を建設してくれているため、アーティストになる必要はなくなった。
「しかしね……私の名前を音楽院に使うのはやめて欲しいんだけど。恥ずかしくて街を歩けやしないわ」
「お前が功労者だ。満場一致だったろう?」
「賛成多数、反対一、だったでしょ!」
  民主主義は多数決。勝ったほうの意見が通るのだ。ぶつくさ言っても始まらないが、恥ずかしい事は間違いない。
「で、いつ発つのだ? 見送りにはこの足でも行くぞ?」
  イルシェは固定した足を持ち上げながら言う。
「明日の朝に出発するわ。森に散らばっている街を徒歩で経由しながらヴァルデマル帝国に入るわ」
「それが安全でしょうね。定期船では監査も厳しいですし、ヴァルデマル帝国はティファート王国と戦争中で警戒態勢にありますからね」
「じゃあ、また明日。見送りにいく」
  私はライナスたちに手を振ると窓から飛び出していった。風を肌に感じながら陽光に煌くオラヴィの街を見渡した。この街とも明日にはお別れだ。本当に色々な事が起きた。劇的だったのはここ数日だけど……心に刻まれた生活がここにあった。
  私はオラヴィの街にいつか戻ってくるだろう。いつになるかはわからない。五年後か、十年後か、二十年後か、しわしわのお婆ちゃんになってから誰も私を知らない街に帰ってくるかもしれない。
  でも、ここが何物にも換えがたい私の故郷なんだと、風に舞いながら思い続けていた。
  翌日の朝。ここはオラヴィの街の北側。草原と大森林が続く獣道を私たちは歩いていく事になる。今日から数日間は野宿になりそうな予感だ。
  太陽が眩い光を放ちながら東の空から顔を覗かせている。私とラビスの見送りに集まってくれた人たちは多かった。肌寒い朝なのに皆は晴れやかな表情をしている。
  別れの挨拶と涙は昨日に置いてきたのだ。昨日泣いていた〝カーヴァンクル〟の子供たちは笑顔で私を見つめてくれている。順々に抱きしめて額に口づけをしてやる。最後にリフィルのおでこに唇を当てる。
  レヴィンは肩を落として私とラビスを見つめている。
  レヴィンはこの旅には同行できないと言った。私にも薄々わかっていた。レヴィンがいなければ家族の家計は破綻してしまう。家族の皆は旅を勧めてくれていたけれどレヴィンは最後まで頷く事なかった。
「悪ぃな……俺は、親友失格だ。でもわかって欲しいんだ。家族を守ってやりたい気持ちをさ」
「親友だからこそ、でしょ。また帰ってくるから」
  私は防寒具と雨具兼用のマントを羽織ると肩に掛ける袋を担ぎ上げた。片手をヒラヒラと振って皆に別れを告げる。
「じゃあ、行くわね。皆。見送りご苦労様!」
  エリンはユーリに支えられながら手に持っていた物を投げつける。
「待って、フィレスさん……!」
  受け取ったのはレヴィンだ。その荷物は、レヴィンの旅荷物だった。武装は常日頃からしているのでマントと携帯食料だけだ。
「おい! エリン、この荷物は……?」
  エリンは傷だらけであることを屁とも感じさせずににこやかな笑顔をつくった。
「レヴィン兄さんも行ってきなよ。私たちは大丈夫なんだから」
「お前な、それは散々話し合っただろう……」
  レヴィンは昨日の話を蒸し返すなと怒り顔になる。昨晩もそうとうな言い争いになったそうだ。もちろん、レヴィン以外は旅に行けといい、レヴィンだけが旅には出ないと言い張る恐ろしく単純な言い争いだった。
「違うの、さっきライナスさんに言われたの。お爺ちゃんが音楽院に施療院を開かせてもらうのに毎月給金を払うって、いくらくらいがいいかって」
  レヴィンは手荷物を抱えたままライナスに視線を移す。話の注目が集まっているので自然と皆の目が集まる。ライナスはおっかなびっくり説明する。
「ああ。スラム街に施療院はないときいたんでね。あそこで大々的に営業するからには報酬を払うべきだと思ったんだが……君のおじいさんには話したぞ?」
  今度はボブ爺さんに視線が集中する。もちろん非難の目だ。
「爺さん……どういうこった? 報酬はなしなんじゃよぅ~、とか泣いてなかったか? あぁん?」
  レヴィンが問い詰めるとボブ爺さんは滑稽なほどわかりやすいいい訳を繰り出す。
「ワシの聞き違いじゃ聞き違い! 別に新しい踊り子のいる酒場に行きたいとかそんなことは考えとりゃせん」
  言い訳じゃない。罪の自白である。
「へぇ~~」
「ふぅ~~ん」
  レヴィン家族の姉妹。長女リフィルと次女エリンは白い目でボブ爺さんを見ていた。しばらくの間はボブ爺さんの夜の酒やちょいとした遊びにいけるお小遣いは一銭もないに違いない。
  レヴィンは割れんばかりの大爆笑でその光景を眺めていた。だが、マントを着て荷物を引っ掴むと大声で叫んだ。皆に手を振りながらこちらへ走ってくる。
「俺も旅に出るぜ!」
  先を歩き始めていた私たちを追いかけてくる。
「女性の二人旅じゃあ危険が一杯だからな。俺みたいな頼れる男が必要だぜ」
  おお、そういえば。思い出した事があった。
「なに言ってるのよ。男はいるわよ。〝男〟と〝女〟の二人旅よ。あんたが入ったら〝男〟二人と〝女〟の一人旅になるでしょうが」
  レヴィンは目を剥いた。
「はぁ? なにを言ってやがる。ラビスは女の子だろう? なぁ?」
  ラビスはもう何度目かわからないであろう質問に憤慨しつつも困った顔で訴えかける。
「レヴィン……僕は男の子だよ……申し訳ないけど」
  レヴィンは絶句していた。思考が真っ白になっているに違いない。石のように固まってしまうとはこのことであろう。私は待っていたこの瞬間を最高の瞬間で拝めた事に感謝しながら腹の底から笑い出した。
「あっはっはっはっは、さぁ、行くわよ~、次の街まで全速力!」
「待ってよぅ、フィレス」
  シルフの力で翔けだした私をラビスが追いかける。放心状態から無理やり引き戻されたレヴィンはガクガクと足を震わせながら追いかけてくる。
「……男なのかよ、っていうか……はぁ!? あの顔で、男? それでフィレスは男であることを知っていて家に泊めたのか? いやいやいや、初日で驚いていたのは……ラビスの事で……えええぇぇぇぇぇ……」
  後ろから聞こえてくるレヴィンの言葉は支離滅裂だった。それを聞いてさらに笑いが込み上げてくる。
  私たちの旅はこうしてはじまった。私の新しい目標は、霊獣を奏でること。伝説の吟遊詩人たちに並ぶこと。私の夢はまだ終わらない。

Sound of Soul -奏でるものたちへの賛歌- 終章

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