俺は眩さに目蓋を持ち上げた。白色の無機質な光を見上げていて、俺はどこかに寝かされている事を知った。背中は柔らかくもないが固くもない。畳の上で寝ているような感触だ。ぐいっと体を起き上がらせようとして、両手両足がまったく動かないことに気がつく。一挙に意識が覚醒する。
目だけを忙しなく動かして自らの様子を確認した。
四肢は金属製の鉄輪でベッドに固定されていて自由が利かない。胴回りにも黒いベルトが通されていて首と腹を念入りに押さえている。服は一応着ているみたいだ。
また、俺は腹を刀で貫かれたはずだが違和感を感じていなかった。痛みもないし包帯を巻かれていることもない。
次に室内を注意深く見渡した。病室のように見える、清潔感溢れる部屋は俺が眠るベッド以外のものはない。そのわりに部屋は広々としていて。四隅にはスピーカーが取り付けられていた。ここは尋問室だろうか。
『目が覚めたみたいだね、相模原くん』
唐突に降って沸いた女の声に俺は神経を尖らせる。思わず力を込めた腕が拘束具に当たり騒々しく鳴らす。
『待ちたまえ。我々は《白姫浜監督局》の人間だ。そしてこの施設は《白姫浜監督局》のものだ。危険はない。君が居た学校から数キロも離れた位置ではないし、君に伝える事が終わったら解放するッ』
スピーカーの向こう側から聞こえる声は一気に舌がもつれかねない勢いで捲くし立てた。
《白姫浜監督局》とは、俺が住む都市《白姫浜新都心》の様々なシステムを管理する公共機関だ。電力・水道・環境だけでなく、人々を《影鬼》から守りつつ《影鬼》に対抗する兵器や武器を開発する。この機関がなければ《白姫浜新都心》は機能しないのだ。
緊張をはらんだ声からすると本当に俺に危害を与えるつもりはないのかも知れないが、なんだってベッドに縛り付けられなければならないんだ。
「それじゃあ、どうしてここに運び込まれたのかを説明してくれよ」
俺は天井を見据えながら言うと、軽い咳払いしてからゆっくりと話し始める。
『まず、君の事からだ。相模原くんは昼頃に《影鬼》と戦いありえないことだが……勝利を収めた。そして、《影鬼》から解放された。それが意味する事を知っているかな?』
威圧感のない優しげな口調に安心できたせいか。俺は起きた時よりも平静になっていた。ふと、頭の隅に追いやられていた雑知識が掘り起こされる。
《影鬼》に勝つとどうなるのか。
「超人的な力を手に入れるんだったか? 空を飛んだり、目からビームが出るんだろう」
俺は子供の頃に読んでいた稚拙なヒーロー漫画の知識を交えつつ、馬鹿馬鹿しさに笑っていた。しかし、スピーカーの声は至極真面目に答えた。
『その通りだ。空を飛ぶことや目からビームは出ないけれど、超高層ビルを跳び越えたり、車に負けない速度で走ったり、素手で戦車を殴り飛ばすことができる。君の怪我が治ったのも力のおかげだ。流れ出た血はどうしようもないから輸血をしたけどね』
「冗談だろ?」
『それなら、どうして相模原くんは生きていられるのかな。あの傷は致命傷だったはずだ。輸血をしたといっても体内の血液は半分以上流れ出ていた。ショック状態で死んでもおかしくないよ』
俺は笑いを引っ込めていた。騙してどうするものでもないのに、嘘を吐くはずがない。本当の話なのだろうか。
俺の心理を読むようにスピーカーの声が告げる。
『試してごらん。君は素手で拘束具を引き千切れるはずだ』
言われてからも半信半疑だった。とりあえず右腕に力を込める。右手首を締め付ける力から痛みは感じない。せいぜい手で押さえつけられているくらいだった。それにも関わらず金属の輪はギシギシと異様な音を立てている。異様な音を立てて何かが弾け跳んだ。白い床の上を転がっていくのは、俺の人差し指ほどはある金属製のボルトだった。続けてすべてのボルトが外れて俺の腕は自由を取り戻した。
「……どうなってるんだ」
自分自身の発揮した力に不気味さを感じつつ、拘束具をすべて取り払う。自由になった体を撫でつけて異常がない事を確かめてみる。ご丁寧にも学生服のほころびも直されている。
『君の身体能力が上がった事はわかったと思う。それじゃあ、次に進むよ』
部屋の中央の床が沈んでいく。何事かと思って黙ってみていると、ギョッとしてしまう。せり上がってきた凶悪な武器に飛び上がるほど驚いた。
部屋の中心に現れたのは巨大な旋回式機関砲。鋼鉄製の装甲だろうとコンクリートの壁だろうと数秒で引き裂く対《影鬼》用の武器だ。標的を自動選択する自立兵器なのか。六門の砲身を束ねた旋回式機関砲は俺にピタリと狙いを定めていた。
「おいッ!? 冗談はよせ! 死んじまうだろうがッ」
射線上から逃れようにも機関砲は中央にある。室内を死ぬ気で逃げ回るか、機関砲を破壊するしかない。俺はベッド横に立て掛けられていた武器へ走り寄る。愛用の長剣と漆黒の長剣をひったくった。
『十秒間で弾丸が切れる。それまで弾丸を剣で跳ねかえしてくれ。もちろん、機関砲を壊したら目玉が飛び出るような金額を請求するからね』
サラリととんでもない事を言い放つ。声の端々には問答無用の響き在り。俺が拒絶しても間違いなく機関砲は始動するのだろう。
「死んだらどうすんだよッ」
俺はできる限り後ろに下がって砲身から離れた。音速の弾丸を避けるためには数メートルの距離は心細いが仕方がない。これでなんとかするしかないのだ。剣を振り回しやすい格好で前屈みになる。問題は俺の反応速度に加えて、剣の強度なのだが製造元の鉄の良さに期待するしかない。
覚悟を決めて俺は吼える。
「さっさと撃てよッ! この、馬鹿野郎」
俺の罵声に憮然とした声が返ってくる。
『……私は野郎でもないし、君よりも格段に頭はいい。それだけは訂正しておこう。それじゃあ発射するよ』
温和な声に反応して、旋回式機関砲はけたたましく回転を始めた。砲身から真っ赤な銃火が迸る。迫りくる銃弾の様子が、怖ろしい事に、俺の瞳には在り在りと映っていた。旋回する弾丸は僅かに差が出ていて、どれも同時に発射されたものではないことまでハッキリと見てとれた。
並んで飛んでくる弾を長剣の腹で凪ぐ。ところが、触れた瞬間に俺の愛用の長剣は粉々に砕けてしまう。細雪のように散ってしまう長剣に唖然としつつ、残された漆黒の剣を左右に振りぬいた。
今度は折れない。固い金属音を立てて、列を成す弾の群れはあらぬ方向へ弾かれていった。黒い長剣を両手で握り締めると機関砲へ足を踏み出した。一歩進むごとに剣を無数に捌き、暴雨の如く寄せる攻撃を受け流す。隙間なく俺を穴だらけにするはずの弾丸は一発も俺に届く事はない。
機関砲が空回りする音が耳に届くときには、俺は砲身の目の前に立っていた。機関砲がゆっくりと速度を落としていく。周囲に積もった薬莢の山を見ていると背後で音がした。振り向けば、砕け散った俺の長剣がようやく地面で跳ね回っていた。
「さすがだね、相模原くん」
スピーカー越しに聞こえていた声が横手から湧いて出てきた。顔だけそちらへ向けると、壁を割る不自然な扉から満面の笑みを浮かべた女性が現れた。
「君は《武聖》に生まれ変わったのだよ、素晴らしい事だと思わないかね?」
興奮した様子で俺の肩を抱きしめてくる。俺は女性と一定距離以上近寄った事はなかったし、ましてや触れ合った事など数える事くらいしかない。彼女の柔らかさと香りにクラクラと眩暈を感じてしまった。
「……い、え、その」
しどろもどろになっている俺を見て、彼女はクスクスと笑う。さり気なく首筋を撫でてからあっさりと俺から離れた。
「すまない……少々はしゃぎすぎていたな。一方的に私が君の名前を知っているというのも気分が悪い。私の名前は、綱島久留里。《白姫浜監督局》の区画監督官という役職についている」
自己紹介よりも俺は聞いておきたい事があった。衝撃的な言葉でもあったし、信用できないという意味合いも強かった。それくらいに突拍子のない話だったからだ。
「《武聖》ってなんです? まさか、五十年前の世界大戦の時に活躍したやつのことじゃないですよね?」
目上の人ということもあって言葉尻だけは飾りつけておく。お粗末な丁寧語だったが、綱島さんは気にも留めなかった。左足を軸にくるっと回る。丈の長い白衣が翻って長い足が見える。最後にビシッと両の人差し指を俺に突きつけた。身振り手振りの多い人だ。
「その通りだよ、相模原くん! 君の超人的な力はまさしくそれだ」
《武聖》とは、生まれながらに《影鬼》を持たない人のことである。先ほど俺が見せたような常識を超えた力を持ち、極端に寿命が長い。完全無欠を形にしたような生物である。
五十年前に起きた世界大戦までは、世界に十二人の《武聖》が確認されていた。十二人の存在は各政府によって管理され、《影鬼》から人々を守る役目を負っていた。だが、世界大戦の時に全員が戦死してしまい、それ以降《武聖》は全滅した事になっていたのだが……
「俺は《影鬼》を倒して《武聖》になったと。そういうわけですか?」
「前々からそういった現象は確認されているんだ。公表されていないけどね……入ってくれ」
綱島さんが部屋の外に声を掛ける。すると、都立高校の制服を着た少女が姿を見せた。遠目からでもわかった際立つ容姿に目を奪われる。
短く整えられた黒髪は軽く波が掛かっていて、どこか大人っぽさを感じさせる。鋭利な眼差しは人を威圧するような緊張感に満ちていて、どこか近寄りがたい。俺のように武器は持っていない。彼女は拳を武器にする格闘家だからだ。そのため、切り詰めたスカートの下に伸びる足は黒ジャージのズボンで隠されている。色気のない姿だが怖ろしく高い身長と顔の良さからどこかのモデルと勘違いしてしまいそうだ。
言い忘れたが、俺の身長はかなり低い。周囲の女子生徒と比べても低い。悲しいくらいにな。
少女はキビキビとした動作で綱島さんの一歩後ろまで歩み寄ってきた。
「紹介しよう。彼女は、横須賀三春。戦後に《白姫浜新都心》で最初に生まれた《武聖》だ。君と同じように《影鬼》を倒して力を手に入れた人だ」
少女は無言のまま手を差し出してきた。俺は背の高い彼女を見上げる形となる。美人でも表情は愛想のないもので、黒目の三白眼が俺を見据えていた。黙ったまま握手を交わすと、ひんやりとした肌触りに包まれる。
「よろしく。三春と呼んでください」
学生が学生に向ける挨拶としては不釣合いな礼儀正しさに面食らった。俺と同い年と言うことでさらに驚いた。
短い挨拶を終えると、綱島さんは微笑みを作りながら俺に話しかけてきた。
「《武聖》になったばかりで悪いとは思うのだが、君は《白姫浜監督局》の指揮下に入ることになる。それで、一般市民に対して奉仕活動に従事してもらう。詳しい話は横須賀くんから聞いてくれ」
俺は仕方なしと首肯する。昔の《武聖》がそれをやっていたのだから、要求されるのは当然だろう。怪我はしたくないけど、誰かを守ることができるのは気分がいい。感謝されるのはもっと好きだ。
そこまで話してから綱島さんは困ったような笑みを浮かべて首を傾けた。
「それで、ここからは君の判断で、嫌ならば断ってくれて構わない。《白姫浜監督局》は《武聖》と《影鬼》の研究を続けている。いつか、人間が《影鬼》に殺されずに済むようにね。君の了解を得られれば、血液のサンプルを取りたい。君が《影鬼》から手に入れた剣も見てみたいのだが……」
快活とした綱島さんの態度には似つかわしくない歯切れの悪い口調だった。俺に考慮してくれているのかもしれないし、ごり押しは嫌いな性格なのかもしれない。綱島さんのその振る舞いに俺は強く惹かれた。
俺は右手に持ったままの剣を綱島さんに差し出す。
「注射は、嫌いなので……俺が入院した時なんかに勝手に取ってください。この剣の方はいくらでも研究してくれていいですから」
綱島さんは念を押して俺に訊ねてくる。それに俺は同じ返答をしてやった。
「ありがとう……お借りしよう。分解するわけではないから今夜には返せるはずだ。君には日常生活で困るといけないだろうから剣を一本あげよう。好きなものを持って帰ってくれ」
確かに俺の剣は折れてしまった。《影鬼》の剣を渡してしまうと丸腰になってしまう。さすがにそれは危険だ。素手でも遅れは取らないだろうが、万が一と言うこともある。俺の腹に大穴を開けていった女の《影鬼》に、もう一度襲われるかもしれない。
綱島さんの申し出を俺は喜んで甘える事にした。
「では、私は仕事があるので失礼するよ。剣のある倉庫には横須賀君に案内してもらう。頼んでいいかな?」
綱島さんは三春に優しく問うと、彼女は黙したままアゴを動かした。
「どうぞ、こちらへ」
三春は踵を返して部屋の外へ歩き始める。歩く速度が早いので俺は遅れないように小走りで追いかける。短く綱島さんに別れを告げて部屋の外へ出ていく。
俺が寝かされていた部屋から一歩外へ出ると、長い廊下に出た。片面はすべて金属製の網を張り巡らせた強化ガラスである。窓の外は夕暮れに染まっている。オレンジ色に焼けた空を三機の戦闘機が飛んでいく。俺は四時間近く眠りこけていたらしい。
前を歩いていた三春が振り向いた。曇りのない瞳が俺を見つめていた。彼女は抑揚の少ない声で話しかけてくる。
「陽光くんは今夜暇ですか?」
「――。深夜くらいなら、暇だけど……」
意図するところがわからなかったので正直に答えた。家にいる妹のために夕食を造ってやらなければならないが、基本的に夜はする事がない。
「でしたら陽光くん、私と見回りに行きませんか? 最近、《白姫浜新都心》で特定の《影鬼》の襲撃が多くなっています。それで《白姫浜監督局》は警戒しているんです。陽光くんも襲われたでしょう」
あの女の《影鬼》が見せた凍る瞳を思い出し、背筋に冷たいものが伝う。あんな眼差しをぶつけられたのは初めてだった。強烈に脳に焼き付いている。
「あの《影鬼》は頻繁に人を襲うのか?」
三春は口調に感情を滲ませながら話す。言葉の節々に篭るのは怒りだ。
「ええ……殺された人間はこの数週間で六十三人。あなたは危うく六十四人目になるところでした」
俺はアゴに手を当てて思考を巡らせる。
普通、《影鬼》が人を襲うことは少ない。あっても理由を求める。《影鬼》が殺人鬼となって街を徘徊するという事件は起こったことがないのだ。だから、女の《影鬼》は何らかの理由があって殺人を行っているはずだ。
《武聖》になった俺の実力は格段に上がっている。初戦は負けてしまったが次は同じ結果にならない。させてやるものか。
「決めた。見回りに参加させてくれ」
俺は拳を固めて突き出した。三春も倣って拳をぶつけてくれた。
「良かった。あなたが参加してくれるのなら……」
三春は言葉尻を濁してしまったが、俺はその先に続けられる言葉が気になってしまった。彼女の台詞は俺が加わる事で壮大な目的を達成する事ができるような、そんな口調だったからだ。