第十二章

《海坊主》の掃討は、一晩を越して次の日の正午を回った時刻に落ち着き始めていた。《白姫浜新都心》の被害は甚大なものであった。
死者、十万六千百十一人。
重軽傷者、三十二万四千八十三名。
大破戦闘機、五百六十三機。
大破自動砲台、約二百三十四万基。
 破棄したブロックは千二百十一箇所に上り、《産業区画》では一部交通手段が寸断されていて、復旧の見込みが立っていない。《居住区画》では住居を失った人々のために無償で民間ホテルを利用させている。費用は無論のこと《白姫浜監督局》が払う。比較的被害が少なかった《商業区画》はすでに人々が活動を始めている。実に逞しいことだ。
 俺は晴香と別れたあと、《白姫浜監督局》の医務室に三春を運び込んだ。
 真っ白な肌にはところどころ火傷の痕が残っていたし、利き腕の拳を壊しているのだ。《武聖》とはいえキチンと治療をしなければならない。女性だから後に残ってしまうのも頂けない。
 昨日から三春は眠り続けている。身動ぎするたびに艶かしい声が聞こえてくるため、目覚めは近そうだ。声のせいで俺は寝不足だったけどな。
 医務室は人が出払っているので、俺と三春の二人だけだ。綱島さんも書類仕事に追われて執務室で悲鳴をあげていることだろう。
 三春がうっすらと眼を開く。のろりと頭を動かして俺を見つめてくる。
「陽光、くん……私は、負けたんですね」
 先の闘いの時と変わっていつもの落ち着き払った三春がそこにいた。跳ね起きて喚きだすかと警戒していたぶん、ほっとした。
「ああ。残念だったな」
 俺は適当に選べる会話もなくてそのまま黙ってしまう。他に掛ける言葉など考えていなかったからだ。
 修復工事が始まっているため、遠くからクレーンの駆動音や鉄骨を打ち込む轟音が微かに届く。だが、森に囲われたこの施設は静かなものだった。
「どうして、あの女は私を殺さないのかな? 私の周りの人間を残らず殺して、私だけを生かしておくのかしら……」
 俺は内心小躍りしたい気分であった。三春の口から晴香をむきあってみようとする言葉が生まれることは、絶望的だと思っていた。
 心の動揺を悟られないように、小さく低い声でぼそぼそと言葉を形造る。
「不思議に思うなら聞いてみればいいだろ? お前はいつも晴香に殴りかかってばかりだから、敵を知るには話しかけてみるのが一番だ」
 三春ははにかみながら問う。
「陽光くんは知っているのでしょう? 私の事とあの女の事を」
 自分の過去を他人に知られているというのは確かに恥ずかしいものだ。だからこそ、三春の過去を直接知る人たちは話したがらなかった。一人例外がいたおかげで予想以上にはやく真実にたどり着けたわけだが、まぁ、それはそれとしておこう。
「さてね。知っている事を話しても良いけど、俺はまだ誰にもぶっ殺されたくない。何があっても口は割らないし、しゃべったとしてもデタラメかも」
 俺は両手を宙で振って話をはぐらかす。
 綱島さん晴香とはきっちりと約束しているので、三春に真実が伝わったら疑われるのは俺だ。詩乃に話しかける人間は皆無だろうしな。というわけで、ぜったいに口外はできない。俺はまだ首に未練があるのだ。
「ずいぶん昔だけど、聞いたよ、私。最後に私を引き取ってくれた叔父さんを殺したあの女に私は叩きつけるように、聞いたの。『どうして、私を殺さないのか? 私の大切な人ばかりを殺していくのか』って。でも、答えてくれなかった」
 それは答えないだろう。晴香は事実を告げる事を躊躇っている。彼女自身が心に折り合いをつけないことには決して口を開かないはずだ。
「それは、晴香が話したくないと思っているからなんじゃないか? どうしても知りたければ自分でも調べてみればいいだろ。それでもわからなくて、晴香にしかわからないようなことであれば、聞いてみればいいんじゃない」
 これが正しい返答かどうかなんて俺にはわからない。
 三春が調べ上げた事をつきつけて、晴香が自分の胸に秘めている事実を話すかどうかなんて知る由もなかった。それに、三春が調べていくうちにバラバラに存在している事実を繋ぎ合わせて、真実にたどり着いてしまうかもしれない。二人が仲直りをする事ができるかは予想できない。
「あの女が私だけを生かしている理由……ですか」
 三春は瞳を閉じて黙考する。
 彼女にとって忌まわしい記憶の中からそれを見つけ出そうとしているのだろう。少しは柔らかい考えが芽生えると良い。誰かを憎むだけで日々を生きていくには辛すぎる。
「さて、と」
 俺は剣を手に取ると戸口へ向かった。
《海坊主》の事と、学校を任せた詩乃がどうなったのかが気になったからだ。もしかすると晴香も詩乃のところに顔を出しているかもしれない。
「外の様子がどうなってるか、見てくる。しばらく休んでいなよ」
 俺の言葉に三春は素直に頷いてくれた。ベッドに体を横たえる彼女を横目に見て、医務室から退出する。
外は雲一つない快晴、夏もまだ先だというのに暑くなりそうな一日だ。明日っからは平和な日常が戻ってくる事を期待して大きく背筋を伸ばした。俺は向かうべきところがあった。
都立第一図書館からのメール。非常に緊急性の高い用件であると記したメールの送り主は、詩乃であった。

 所変わって、都立第一図書館の地下書庫。詩乃のデスクを中心に俺が床に座り、離れた書棚に晴香が寄りかかっていた。俺は信じられないと頭を振った。
「昨日のあれが収まったばかりで信じられねぇよ」
 真っ先に俺が口を開く。
「そんなこと言われてもねぇ……」
 晴香も俺の意見に同意してくれる。それでも、詩乃は念をおして同じ事を告げてきた。
「《海坊主》は殲滅できていないわ。おそらく、次の進化形態に移行したはずよ。獰猛さの次は増殖。次があるとするならば、知能でしょうね」
 晴香はうんざりといった様子で聞きながら、自分の髪を弄んでいる。昨日に壮絶な闘いを終えたばかりなのだ。詩乃だって疲れているだろうに。
「で、なにか対応策でもあるの?」
 胡散臭い話でも、億劫な話でも、一応可能性だけは考慮しておかなければならない。晴香の質問はいの一番に考えておくべき事柄であった。だが、その返答は。
「ないわ。でてきたら叩いてちょうだい」
 詩乃はあけすけに言う。本当に何にも考えていない言葉振りがひどい。目の前に《海坊主》が現れたのなら倒すに決まっている。そいつは確認するまでもないと思う。
「つまり、まだ油断はするなって事を警告したいわけだな」
 詩乃は『君は本当に馬鹿だな』的な視線で俺を黙らせる。
晴香と三春の相談ばかりしていたせいか、俺に対する風当たりは悪い。口を出せばかなりの確率で苛められるのだ。
「それだけじゃあ、餌になるわよ。進化するって事は適応するって事。あれだけの戦力で競り負けたわけだから《海坊主》単体の戦闘能力を上げてくるはずよ。戦闘竜が二千機で掛かっても殲滅できるぐらいの力はあるかもね。あるいはもっと別の強さかもしれない」
 そこで詩乃は本棚のところにいた晴香に目線を振る。視線を向けられた理由がわからずに晴香は首をひょいと傾げた。
「あなたには《武神計画》を進めていると思われる施設の情報をあげていたわよね? その襲撃した施設の中で《海坊主》は見なかったかしら?」
 初めて聞くことだけど、思い当たる点がある。詩乃と始めてであった日。あのときに晴香は何かの情報を提供してもらっていた。それの事を指しているのだろう。三春は晴香を憎んでいたが、晴香は自分たちを苦しめる結果を生み出した《武神計画》そのものを、敵として定めていたことを初めて知った。
 晴香は苦しそうに目をぎゅっと閉じる。懸命に記憶のプールの中で情報を探しているのだろう。ずいぶんと長い時間を思考に費やしてから言った。
「それは……なかったわね。危険な装置や薬品、兵器はあったけど。火をつけて全部焼き払っちゃったからね。一応流し読みはしているから《海坊主》の記述があったら見つけられるはず、あ――」
 晴香ははっと息を飲み込んでいた。
「どうした?」
「何か、あったのね?」
 最後の最後で晴香は何かを思い出したようだった。サッと顔色が変わる。俺と詩乃はその理由を先争って訊ねる。
「いや、えと。一年以上前に教えてもらった施設の一つなんだけど。はじめから破壊されていたのよ。数年以上前に破棄された感じだったんだけど、血糊が黒く残っていたり、資料がばら撒かれていたりして、変だなとは思ったけど、あまり関心がなかったからすっかり忘れてたわ。海坊主の施設かは知らないけど……調べてみる価値はあると思う」
 今思えばと言うことなのだろう。
不可解な点があったとしても興味がなければ忘れてしまう。一年以上前の事をこの瞬間に思い出してくれた、それだけで僥倖である。
「その施設の場所はどこかしら? 出来れば資料をかき集めにいきたいところだけど」
 詩乃の言葉を晴香は突っ返す。
「何を言ってるのよ。あなた、私に資料だけは回収してこいっていったでしょう? あなたに手渡しているはずよ」
 詩乃は据わった眼のまま、ギリギリギリ、と歯をかみ鳴らす。その音と連動して首をぎこちなく回すものだから気味が悪い。お前は呪いの五月人形か。
「あの山の中に……あるのね」
 詩乃が恨めしそうに睨む先には山と積まれた紙資料が積んである。俺の腰の高さくらいまである山が五つ。面倒くさくなって放り出しているのだろう。ツケってのは嫌な時に回ってくるもんだ。
 俺と晴香は軽く関節を揉み解しながら作戦を確認する。
「詩乃はここで資料探し。《海坊主》の情報を集める役目。俺たちが《海坊主》の研究施設だったかもしれない所に調査に行けばいいわけだ」
 詩乃はよろしくね、と言ってから、青い顔をして資料の山を漁り始めていた。いくら急いでも一日くらいで終わる量じゃあなさそうだ。俺たちが研究所で収穫を得る方が先かもしれない。
「ところで、晴香。その施設はまだ残ってるんだよな? まさか焼き払ったなんて事はないんだよな。笑えるぜ、そのオチは」
 俺の不安をかき消してくれるように、背中をバンバンと叩いてくる。
「大丈夫。さすがにそこから火を出すと人が死ぬかもしれなかったから、放置しておいたよ。ただ……今も入れるかどうか」
 自信なく声をすぼめる晴香に場所を聞いておく。数年で場所の入れ替わりが激しい区画は一つしかないんだけどな。
「やっぱり、《産業区画》なのかよ」
 これは絶望的かな、と俺は澄み切った青い空を仰いでみるのだった。

君の隣に影がある 第十二章

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