第八章

窓の外は実に騒がしい風景である。天を貫くビルの間を、無数の高速道路が渦を巻き、高速道路に沿って《産業区画》、《居住区画》へと繋がる主要鉄道が走っている。《商業区画》は、影に対して異常なほど警戒した都市構造になっている。そのため、《戦闘竜六○三》部隊の半数が哨戒にあたっている。警戒装置や自動砲台の数も半端ではない。
 ビルの側面。道路の中央部。駅の屋根。至るところで機銃が目標を探して砲身を旋回させているのが目に映る。銃器の種類も豊富である。
 道路の中央部に等間隔で設置されているのは、『四十ミリ旋回式機関砲』。俺が《白姫浜監督局》で一騎打ちを演じさせられた兵器である。弾薬は各砲座ごとに一万二千発。押し寄せる大群を瞬時に殲滅するために置かれているため、長期的な用途に用いられる事はない。
 ビルの屋上に設置されている円筒形の筒を九本、平行四辺形型になるように束ねた兵器、『垂直降下型爆雷』。真上に向かって発射してから敵の頭上で炸裂する爆雷である。これは大型の敵に対して狙い済まして発射されるものなので、索敵システムが取り付けられている。高額なものらしい。
 他にも色々あるのだが、面倒くさいので忘れてしまった。別に俺に向かって攻撃されるわけではないから覚える必要もないだろ。
 俺の目の前でフルーツパフェを堪能している詩乃は警戒されていることに関してまったく気にしない。自分は撃たれないという確信があるのか、この程度の武装では彼女を萎縮させるには物足りないのか。どちらにも当てはまりそうだ。店内にいると否が応でも視線が集まってくる。それに関しても詩乃は歯牙にもかけない。
 問題なのは、常識を超えた存在が俺の目の前でデザートを所望している、ということ。新しくクレープを頼もうかしら、などと爆弾発言を噛ましてくれているのである。常識を超えた存在とは説明するまでもないことだが、詩乃のことだ。
「お腹を壊さないのか?」
 俺は少しだけ詩乃を気遣う。ざっくらばんな口振りに戻したのは、彼女の要望だったからだ。
「全然。食べる?」
 銀色のスプーンにアイスを持って差し出してくる。俺は身震いしながら申し出を断った。冗談じゃない。
 晴香の手元では大グラスのパフェが無くなろうとしていた。コーンフレークを敷き詰めて、生チョコレート、クリームを土台にアイスを四つも詰め込んだ凶悪なパフェだ。俺は運ばれてきたのを見るだけで気持ち悪くなった。
 でも、晴香はそれを嬉々として食べていた。その直前に、クレープとティラミス、チーズケーキ、モンブラン、オレンジシャーベットと食しているにも関わらずだ。
 んでもって、俺は貧乏揺すりをしたいほど心が落ち着いていなかった。携帯電話が微弱に震えるたびに内容を確認している。
 図書館を出てからすでに三度メールが届いている。《白姫浜新都心》各所で『血塗れの路地』が確認されているとのことだ。《海坊主》に間違いない。いまのところ《戦闘竜六○三》のどの機体も《海坊主》に接触できていない。まだ、人間を襲う《海坊主》はまだそれほど多くないと見ていいのだろうか。それとも血糊すら消し去ってしまうほど貪欲な《海坊主》が数多く存在するのか。気が気でない。
 田奈は大丈夫だろうか。妹は決して弱いわけじゃないし、頭も回るほうだと知っている。でも何事も絶対なんてないのだ。
「落ち着かないのねぇ? デート中に他の女の子の事を考えるのは失礼ではないかしら」
 詩乃は空になったグラスを横にどけると、ティーカップを手に取る。温かな熱気を立ち上らせるコーヒーに口をつけてから訊ねてきた。
「妹の田奈さんが心配なの?」
「ああ、そうだよ」
 俺は鬱な気分のまま机にアゴをのせる。膝を動かせないので人差し指でコツコツと机を叩く。話したこともない妹の事について話を降振ってくるという事は、俺のことに関して調査は完璧なのかもしれない。
 と、いうことはだ。俺はふとした思いつきである事を訊ねてみることにした。
「横須賀三春について知っているか?」
 詩乃は憤然とした態度でため息をつく。彼女の伸ばした指先が俺の額を弾く。
「妹さんの次は彼女? 追っかけるなら一人にしておかないと火傷するわよ」
 怒りたくなる気も分かるが、遊びに誘ったのは詩乃だ。俺がどんな会話をしようと構わないはすだ。とは言えあんまり機嫌を損ねるのは不味いからほどほどにしておかなくてはいけない。
「いや、そう意味じゃない。三春と晴香の関係については知っているんだろ?」
 詩乃は何も言わなかったが、知らないようには見えなかった。まっすぐに俺を見つめてくる詩乃に俺は言葉を繋げていく。
「知っていることはすべて話してくれ。どんな些細な事でも構わない」
 不要な事の方が多いだろうがそこは俺が選別して必要な事だけを集める。得意じゃないができないことはないだろ、たぶん。
 詩乃はくしゃくしゃと髪をかき混ぜて苦々しい口調で言う。
「どうせ、晴香が三春の両親を殺した理由を教えてくれとでもいうのでしょ」
 ピンポイントで俺の聞きたい事を当ててきやがった。それならそれで話は早い。
「知らないのか?」
 俺の台詞には知っている、と答えてくれる。でも、と釘を刺して。
「晴香の気持ちはわからないけれど、殺した理由ならわかると思うわ。でも話したくはない、わかってもらえる?」
 そんな事で食い下がりたくはなかった。
 三春はこれからも晴香を恨みながら生きていくことになる。晴香はそれを受け止めながら生きていくことになる。俺は二人とも悪い念に駆られた性格ではないと思っている。おそらく、不幸な出来事が二人を狂わせてしまっているのではないのか。そう信じたくてならない。晴香はすべてを知っているのだ。だから、三春と仲良くしたいといっている。しかし、三春には声が届かない。なぜなら真実が見えていないから。俺はそれを気づかせたい。二人ともとても良いやつらなんだから。
 俺は素直に頭を下げる。これくらいしか、俺はお願いの仕方を知らないのだ。
「それでも頼む」
 盛大なため息が俺の頭の上で聞こえた。詩乃はいやいやながら承知して、心が進まない様子を露骨に示しながら重い口を開いた。
「《武神計画》というものを……知っている、わけないわね?」
 俺は自然と頷いた。初めて聞く単語だからだ。
 話しはじめから大きく躓いたようだった。しかし、それは予測済みだったのか、詩乃は丁寧に説明をしてくれる。
「《武神計画》は五十年前に世界大戦を引き起こした原因。《武神計画》は生体実験だった。人間の遺伝子を改変して身体能力の高い人間を生み出そうとしたの。人工的に《武聖》を造ろうとしたのね」
 詩乃は《武神計画》の詳細を細かに話してくれた。画期的な技術発明から、残酷な吐き気のする実験まですべて。そいつを俺は拳を握り固めながら聞いていた。
「そんなこと教科書にも載ってないぞ?」
「当たり前でしょ、極秘事項だもの。《白姫浜監督局》の人間に話したりしたら殺されるかもしれないから注意なさい」
 ピシャリと警告される。口封じとは穏やかでない話だ。
「《武神計画》は基本的な部分はすべて上手くいった。身体能力の高い人間のクローンを製造する事ができるようになった、でも、身体能力の高まった人間には同じように強力になった《影鬼》がくっついていた。科学者は《影鬼》まで強くなるとは考えていなかったのね」
「それで、あの大戦か」
 五十年前。突如として現れた三人の《影鬼》は人類に向けて宣戦布告。瞬く間に世界を蹂躙し破壊の限りを尽くした。たった三人の《影鬼》に世界が翻弄されたのだ。最新兵器と《武聖》、一部の《影鬼》の活躍でどうにか勝利を収めたが、数多くの大陸や都市が崩壊した。
 全世界にある都市がすべて水上都市なのは、人が住める島がほとんど残っていないからだ。数少ない土地は自然保護区として人の生活圏から完全に隔離されている。
 詩乃はどこか悲しみに満ちた瞳を窓に向けた。彼女は世界を壊滅した戦いに参加して生き残ったのだ。思うところもあるはずだ。
「それで、三春と《武神計画》になんの関係が?」
 《武神計画》は戦争初期の段階で破棄。残っていた施設などは三人の《影鬼》たちの手によって消滅させられた。人体実験に使用された人間たちも行方知れずになったものもあるが、詩乃の調べた結果によればすべて死亡していると言った。何が三春と関係付けるのか。
 俺の考えと裏腹に、詩乃の口からは驚くべきことがもたらされた。
「三春の両親は破棄されたはずの《武神計画》の技術データを所持していたの。だから、世界を破壊した三人の影鬼が倒されたあとも《武神計画》を手に入れるために動いていた《影鬼》に殺された」
「三春の両親は《影鬼》に殺されたってのはいいんだが、なんで晴香が恨まれてるんだ? 晴香は関係ないように見えるんだけどな」
「ちゃんと話を最期まで聞きなさい。……《武神計画》を手に入れたがっていた《影鬼》は三春も殺そうとした。だから、三春を守るために晴香は《影鬼》を撃退した」
 俺は黙って頷く。
「ここからは私の想像ですけれど、両親が死んでる光景と刀をもった晴香の姿、それを最初に見れば……おのずと事態を察知するでしょう?」
「両親を殺したのは晴香って考えるってことかよ」
 詩乃は「その通りですわ」と締めくくった。
「しかし、まだわからないぞ。晴香は両親以外にも引き取った親戚縁者を殺している?らしい、それにだ、わざわざ人を殺す必要はないわけだしデータならこっそり盗み出せばいいじゃないかよ。なんでわざわざ目立つことをするんだ」
「あなたは考えもしないかもしれないけれど、次のことが言えるかしらね。《武神計画》のデータはいまの時代でも大金を生むわ。そして秘密をしている人間はほんのわずか。あと、横須賀三春の出生は不明であり、彼女は生まれたときから孤児施設にいたわ。最初の両親と名乗る男女も三春を養子にとったに過ぎない」
「……もしや、データっていうのは……」
 俺の答えが合っていると暗に示したまま、詩乃は淡々と語りを続けた。
「晴香が三春を守るのは、彼女の体内にデータが保存されているからに違いないわ。たぶん、容易には取り出せない頭じゃないかしらね。迂闊に取り出そうとすれば三春は死亡する。自由になっていない《影鬼》の晴香は、三春が殺されれば当然のように死んでしまう。三春を守ろうとするのは当然だわ」
「まさかとは思うが、晴香が両親を《影鬼》に殺させたのは……?」
 頭に浮かぶ最悪のイメージを必死で否定する。詩乃にそうでない、と打ち消して欲しかった。あまりにも残酷じゃないか。
 だが、俺の願いに反して詩乃は無常に言い放つ。
「横須賀三春を殺してデータを手に入れようとしたからでしょうね。推測するに」
「マジかよ……くそ」
 つまり、三春を守るため、自分を守るために晴香は両親や親戚縁者を殺して、《武神計画》を追ってきた《影鬼》も殺していたわけだ。
「横須賀三春の親であることよりも研究者であることを優先したんでしょう、……他の親類縁者たちも研究者で構成されていた。三春は知りえなかったようだけど、二つの引き取り先はまったく縁もゆかりもない他人よ」
「なんてこった……」
 俺は求めた『真実』を前に馬鹿のような戯言をほざくことしかできなかった。こんなこと三春に伝える事はできない。できるはずがない。心を粉々に砕く事にもなりかねないし、俺の信用や情といったものをすべて失うかもしれない。晴香だって伝えられないに決まっている。自分が両親や親類縁者を始末したと思われているのだ。耳を傾けてもらえるはずがない。
「唯一の慰めといえば、《白姫浜監督局》の区画監督官。あの女は模範的な心を持った人間ね。《武神計画》の事を知りつつ手を出さない」
 詩乃は置きっ放しにしていたコーヒーに手を伸ばす。口をつけてから少し顔をしかめた。長話で温くなってしまったのかもしれない。俺も無言のまま薄まってしまったコーラを飲み干す。
 苦悩する俺に詩乃の呟きが聞こえる。その口調は心の底から理解に苦しむといったものを感じさせていた。
「でも、どうして三春を守り続ける必要があるのかは理解できない。三春を殺してしまって自由になればいいだけの話なのに」
 理解できないだって? それはあなたに大切なものが何一つないからに決まっている。守ることに理由なんか必要ない。自分の気持ちだけが大事なんだ。晴香は三春の事を嫌いじゃないと言っていた。
晴香は三春に対して家族愛に似た愛情をもって接していたのだ。まったく、家族なんかよりよっぽど気にかけてるじゃないかよ。ようやく晴香の気持ちを俺は理解する事ができた。

君の隣に影がある 第八章

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