「ズバリ聞くぜ。お前は、三春を家族同然に大切に思っている。研究データをもつ少女とだけ思われている彼女に自分なりに愛情を注いでいるんだろう?」
俺は出会い頭にこの言葉を晴香に叩きつけた。間違っているなんて事は露とも思わない。俺だって同じ気持ちで田奈を守っている。むしろ、これまで以上に親近感すら湧いていた。
真夜中の《居住区画》で晴香は《海坊主》退治をしていた。無数の《海坊主》に囲まれていたので横割り込みしていったのだ。若干の苦戦を強いられたが、今朝方ほど振り回されることはなかった。俺は《武聖》になってから一秒経つごとに強くなっているのではないかと思ってしまう。過信は禁物なんだけどさ。
今日に限っては三春と俺は別行動をしている。彼女は《商業区画》へ赴いているのでここでの話は聞かれないし、無意味な闘いにもならない。
俺の問いかけにあっさりと答えは返される。
「そうよ」
晴香は俺の推理を全面的に認めた上で、苦虫を噛み潰したような表情で口を開く。
「ったく。詩乃を紹介すべきじゃなかったね……私の親切心はどうも悪い方向へ傾く癖がある」
晴香は落ち着かない様子で髪を弄る。その言葉に俺は苦笑を禁じえなかった。それくらいに説得力のある言葉だったからだ。
「だけど。お前のおかげで俺はすべてを知ることができた。足りないのは、俺が足りないと感じているのは、お前の心だ。どうして三春を大事にしようとするのか。いっちゃあ何だけど、人間と《影鬼》の関係は最悪だ。俺だって《武聖》になる前は自分の《影鬼》が大嫌いだった。だから、晴香が三春に仲良くしようとするのがサッパリわからない。向こうだってわかっていないから、お前を攻撃する。もとより勘違いされる原因があるのも問題なんだけどな」
俺は責めるよう言葉尻を強めた。
「三春はね……母親の子宮の中で誕生して、産声を上げて生まれたわけじゃないんだよ。試験管の中で育ったほんの少しばかり普通の人より優れた人間なの」
「それは、初耳だな」
三春は《武聖》になる前から、人を惹きつける容姿と類稀なる運動能力をもっていたらしい。晴香を追うようになってからは性格の方も人付き合い良くなったので、田奈が言っていたようなアイドル的存在にまでなった。しかし、それにしては出来すぎていると思う人間は数多くいただろう。この世に完全無欠の人間はいない。スタイルがいい、顔がいい、と褒めちぎられてもどこかに落ち度がある。
三春はそういった欠落が見られない。作られた人間というには納得がいった。
「三春は身体能力を高めて造られたクローンとは違う。身体能力の高い成人を作り出すのではなく、人間の赤ん坊に特殊な効果を加えて《影鬼》に勝ちやすくなるようにされたものなの。成長はクローンと違って普通の人間と同じ。時間の掛かる実験だった」
そこで口を閉じて、クツクツと鍋を煮るような笑声を漏らす。
「失敗だった場合には差し替えが利くように幾つもの試験管が並べられていたのを覚えているわ。笑ってしまう話だけど、人間を人工的に強化すればするほど《影鬼》は成熟し、強靭になっていく。三春が試験管の中にいた頃から私の意識はあった、研究員たちの話は筒抜けだったわ」
「試験管から出されて、研究員の二人が三春の親代わりとして生活するようになった。私は何も知らずに育っていく横で、研究員たちの行動を観察していた。彼らが三春を記録するように監視し続けた。研究員たちは研究を優先していたけれど、決して三春を愛していないわけじゃなかった。研究対象としてなのか子供に対するものなのか、それはわからなかったけど」
でも、ある夜の事。晴香は暗い表情で過去を語り始める。
「もう三春は十二歳になっていた。私がいつ現れてもいいように刀を特訓を続けていたわ。ベッドの隣に刀を立て掛けて、疲れていた三春はすぐに寝入ってしまった。私は意識だけは完璧に覚醒しているのに、どういうわけか体が実体化できないことに焦りを感じ始めていた時期だった。だから、真夜中にもかかわらずずっと起きていた。だからこそ不穏な空気を察知できたんだけど。三春の寝室に忍び込んできた《影鬼》たちは血の臭いを漂わせていた。私は、このときにはじめて《影鬼》として実体化することができた。本当に幸運だったよ。三春が殺されれば私の存在も消滅してしまう。そればっかりは私もゴメンだからね。そして、襲撃者が現れるたびに私は三春を守り続けた。それで、ようやく私は自分の中にある気持ちに気づいたの」
「三春を一番心配してやれるのは自分じゃないか、って事だろう」
少しだけ恥ずかしそうに、晴香は顔を俯かせる。
「だけど。三春にそんな秘密があったとはな」
研究員たちは両親、親戚を演じながら三春の成長記録をつけていたわけだ。何も知らない三春を利用しつつ家族面して振舞っていやがったのか。いらなくなったら処分する気であり代わりはいくらでもいる、聞いているだけで腸が煮えくり返ってくる。たとえ優しく愛情をもって接していたとしても、それが本物の家族なのか。疑わしいところだ。最終的に研究員は全滅してしまったわけだから計画は頓挫した、そいつにだけは腹を抱えて笑ってやるぜ……、あれ?
「でもよ。三春が作られた存在である、って事は、《武神計画》とやらがまだ実行されているみたいに聞こえるぞ」
晴香は俺の言葉を受けて声高に強調する。
「その通り。《武神計画》は見えないところで続けられている」
「――ッ、またあの戦争が起きるかもしれないのか!」
俺はビリビリと奔りぬける電流じみた衝撃に打ちのめされていた。現実に目にした光景でなくとも教育を受けている身にならおのずと理解できる。とんでもないことが起きる。その一点だけは馬鹿でも知る。
「で、話は戻るけど。三春に真実を知られたくない。ある日突然、あなたの人生はまったくの嘘っぱちですなんて言われても困るだけでしょう? だから私はこのまま、恨まれ続ける毎日でいいの。まぁ、知っていてくれる人がいるってのは嬉しいんだけどね、はは」
晴香は笑い顔の奥で何を考えてやがるのか。笑っているのは声だけで、目元も唇もまったく笑えていない。強張っている。それに薄々感づいたのか明後日の方を向く。
「……嘘、つくなよな。お前はぜんぜん満足してないだろが」
ほんの微かに晴香の肩が震えた。畳み掛けるように言葉を積み重ねていく。容赦はしない。
「恨まれ続ける毎日でいいだって? そりゃ、いつか恨まれなくなる日を待っているってことだろ。三春のことを単に大切に思っているだけなら、復讐を受けて殺されてやればいいだけだ。そうすれば、三春は真実を知らずに恨みも果たせて万々歳。あいつは幸せにこれからの人生を生きていくだろうよ。お前が三春は大切の思っているならできないことじゃない。それをやらないのなら答えは一つだ。お前も三春から慕われたいんだ。いつかは誤解を解いていきたい。言っていたよな、仲良くしたいって。例えれば姉妹のように過ごしていきたいって考えているんだろう!?」
最後のは俺が適当に考えついた事だ。でも、それほど的外れでもなかったらしい。晴香の震えは目に見えるほど小刻みになっていた。俺は少し見上げられる背中に向かって言う。
「三春に全部話すんだ。俺も協力するから」
晴香が体全体で振り返る。キッと睨みつけてくる瞳からは細い雫が伝っていた。
「そんなことぜったいにダメ。もし、しゃべったら、あんたを殺すよ。殺してやる!」
気炎を吐く晴香の形相は、《影鬼》を語る三春と酷似していた。異様な光を宿す鋭眼を前に俺はたじろぐわけにいかない。
「それなら他にどうするんだ?」
「だから、今のままでいいって――!」
最後まで言わせない。俺は自分の言葉を上に重ねて塗りつぶしてやる。
「じゃあ、どうして泣いているんだよ!? 理由があるなら言ってみろ!」
「ないけど……ないけど、ダメ。私やあなたが三春に話すのだけは、それだけはやめて……」
照明の光だけがある静かな《居住区画》。そこでは、嗚咽混じりの声だけが聞こえてきていた。晴香は、雨の中で寂しげになく子犬のように、迷子になってしまった幼い少女のように、すすり泣いていた。
はじめに出会った《影鬼》久留米晴香はこんなにも、儚い存在だっただろうか。俺の前に悠然と立ち塞がり、命を奪い取っていった。力ではいつでも競り負けた、完敗というやつだ。さっきも詩乃に引き合わせてもらい助けてもらった。
今度は俺が助けてやる番だと意気込んだところで、少女には何もするなと。それと同じような言葉を投げかけられる。俺は胸にわだかまるやりきれない思いだけが、頭の中で言葉にしようと、ぐるぐるぐるぐる、と渦巻いている。
「これは私と三春の問題。あなたの納得いかない形かもしれないけど、決着はつける。だから、手を出さないで欲しいの。人と《影鬼》の決闘は横槍なし、が基本でしょう?」
晴香は涙顔を袖で拭う。まだ鼻を鳴らして涙声ではあったが、いくぶん落ち着いた雰囲気がある。言いたいことは山ほどあるけどそれを言い出せば限がない
「わかった。俺からは何も言わない……ただ、三春にお前と話をしろとだけは言わせて貰うぜ。それで、まぁ、三春がお前と話すって言うなら、ちゃんと会話しろよ。姉妹らしい会話をさ」
俺が笑いかけると、三春も泣き笑いの表情で応じてくれる。
「わかってる。そのときが来るように、頑張るから。いままでだってやって来れたんだから」
晴香はやすらいだ顔で、優しい声色で、決意を語った。いままでもやってきた、それは俺も知っている。でもこれからは一人じゃない。俺も応援している。手を出せないのなら声を張り上げて応援する。声を出してもいけないのなら、心の中でエールを送り続けてやる。
それが、晴香と三春のためになるって信じてな!