第十四章

俺たちは人々の笑いさざめく遊歩道を歩いていた。気恥ずかしさとちょっとした優越感に浸りつつ、外見上は憮然とした装いで誤魔化している。隣には三春がいて肩には学生カバンを提げている。
 俺たちは学校帰りに《商業区画》にやってきたのだ。見回りと言う名目で、用事は買い物である。《海坊主》の騒ぎが収まってから十日が経とうとしている。ショッピングを楽しむ人々の間には歓喜が溢れかえっていて、どこかに避難していた《影鬼》も影の中にちらほらと姿が見える。
 相好を崩す三春の顔はとても惚れ惚れとするもので、眺めていて飽きない。しかし、男には貫かねばならないスタイルというものがある。恋人でもない女性を前にデレデレとするわけにはいかないのである。
「《武聖》の任務中に遊ぶのは、ダメなんじゃなかったのか?」
 お気に入りの小物を購入できた事でほくほく顔である三春を揶揄する。
「いいではありませんか。《海坊主》は倒れ、平和が戻りました。私たちは楽しむ権利があります」
 胸を張ってアゴを高く上げて言う。《海坊主》の事件の前まで、毎日欠かさず敢行していた『晴香狩り』は週一回となっている。週一の行事には俺もつき合わされている。三春と晴香の決闘は命のやり取りであることに違いはなかったが、殺伐とした空気はどこにもなかった。純粋に力を確かめ合っている風に見えている。
 田奈から聞く三春の生活はずいぶんと変化があった。一週間のうち六日は図書室で調べ物をしたり、追っかけを相手に息抜きをしているらしい。うん、良い兆候だ。
「まぁ、いいんだけどさ」
 詩乃に促された注意を思い出していたが、わざわざ口に出す必要もない。まったりとした時間を壊したくなかった。俺と三春は他愛のない話に花を咲かせつつ次なる目的地へと足を運ぶ。
 鼻先を掠めていった不思議な香り。俺はついっと、誘われた匂いの方へ顔を向ける。男ってのは好い香気に弱い。その出所を眼だけで探した。
「こんにちは」
 珍しく自分の視線より下から挨拶される。俺に声を掛けてきたのは小さな女の子だった。しかも、《影鬼》であった。あまりに幼い《影鬼》に面食らってしまい、すぐに挨拶を返す事ができなかった。
「あぁ……こん、にちは……」
 屈託のない笑顔を前に俺はしどろもどろになって答える。少女の《影鬼》は笑顔を絶やさずにそのまま走り去ってしまう。人ごみにまぎれた小さな頭はすぐに見えなくなる。
「知り合いですか?」
 三春は俺が少なからず《影鬼》と交流があるのをしているのでそんな風に訊ねてきた。
「全然、知らん」
 しかし、俺は首を振るしかない。初めて見る《影鬼》だからだ。すれ違った事だってないだろう。あんな特徴的な《影鬼》を見かければ俺が忘れるはずはない。沈思する俺は断末魔の叫びに呼び覚まされた。
 この往来と喧騒に似合わない絶叫に俺は緊張する。同時に、傍らの三春を思い切り突き飛ばしていた。三春も俺を突き放していた。
 俺と三春の間を裂くように、細長い大顎が地面から生える。大きく開かれた口は真っ黒で唾液が糸を引いている。びっしりと生えた乱杭牙が閉じられた。俺が抜きざまに斬りつけるよりも先にそいつは地面の影に引っ込んでしまう。
 この通りは完全に影に沈んでいて足元が危険すぎた。俺は影のない場所を求めて遊歩道の雨よけガラスの屋根に逃れる。倣って三春が追ってくる。
「あの化け物……ッ、《海坊主》なのか!?」
「そうよ」
 逃げ惑う人々を見下ろしながら叫ぶと、声が返ってきた。甲高い耳障りな女の声。俺は予想外の方角から聞こえてきた声の主を探す。
「はじめまして、ってわけじゃないけど。最近なりを潜めていたから忘れられてしまったかしら、フフフ」
 そこには先ほど出会ったばかりの少女の《影鬼》が立っていた。合間見た微笑みは捨て去りもったいぶった仕草で名乗り上げる。
「私が、あなたたちの名づけた《海坊主》という生物の、完全体です。あなた方のおかげで私はここまで立派に成長する事ができたの礼を言わせて貰うわ」
 詩乃は言っていた。次は知性を持つだろう、と。その通りだった。俺と晴香が撃退した《海坊主》は完全体ではなかったのだ。
目の前に現れた完全体《海坊主》は人間と同じくらいの知力を持つ生物へと変貌を遂げていた。彼女の繰り出す黒い怪物は俺と晴香が撃破した《海坊主》と似ている。全容はわからないのでワニもどき、とでも言っておこう。ワニを連想させる口は次々に人を喰らっていく。
「あなたが成長しても嬉しくない。迷惑なだけですから死んでください」
 三春は冷徹に吐き捨てる。足元をつま先で小刻みに蹴っているところから察するに腹は煮えくり返っていそうだ。三春の指先は握力で真っ白に変色している。
 見合っているわけにいかない。剣を構えなおすと三春に目で合図を送る。彼女はアゴを動かして答える。一挙に畳み掛けて、切り伏せる!
 先に動いたのは完全体《海坊主》であった。
 轟、と俺の体を烈風が駆け抜けていく。風の正体を見極めないまま剣を立てて防御する。その判断が俺の命を救った。俺の左手に持っていた特殊鉄鋼の片刃剣がささらのようになって弾けた。ついで、左手の肉と皮膚が細切れになっていく。
 完全体《海坊主》は大振りの一撃でもって貰った剣と左手を切り裂いたのだ。小さな指先には可愛らしい爪がついているだけだというのに、なんと言う破壊力だ……ッ
 激痛に叫ぶのを堪える。宙にある少女の顔目掛けて、突きを繰り出す動きに転じる。だが、俺の予備動作を追い越して細い足が俺の腹にめり込んだ。肺の空気を搾り出される重い一撃は俺を凄まじい速度で吹っ飛ばす。
 斜め上に蹴りだされた俺の体は、後方にあったショッピングビルの四十階。ガラス張りのショーケースを突き破り店内を激しくバウンドした。轢死体のように床にへばりついた俺は一息吐いてから、喉の奥から込み上げてくるものをその場で撒き散らす。床が鮮血で満たされていく。
 周囲の人間はすでに避難していて店の内部はがらんどうだった。完全体《海坊主》はワニもどきをどの範囲までなら操れるのか聞いてみたいところだ。妹のいる《居住区画》が無事ならばいいのだが……
 俺は酷い有様になった貰い物の剣を捨てる。《影鬼》の剣を杖代わりに立ち上がった。《武聖》になってからこんな痛い思いをするのは初めてだ。頑健な体がちっとも羨ましくない。普通の人間ならば即死してしまえる一撃を何度喰らっても激痛を体験するだけで済まされてしまう。
 軽やかな足音とズルズルと聞こえる摩擦音に首を巡らせる。完全体《海坊主》を視界に納めるより先に、俺は放り投げられたものに当たって無様に床を舐める破目になった。
 ぜぃぜぃと微かな息を吐く三春だった。拳で殴られたのか、顔といい足といい、殴打の痣で皮膚が淀んでいる。対照的に完全体《海坊主》の面は綺麗なものだった。
「私は人間を食べれば食べるほど、強くなれることに気がついたのよね。たぶん、私の体を構成する物質の密度が濃くなれば……反応速度や筋力が上昇する。食べれば強く成長するなんてわかりやすくていいわ」
 完全体《海坊主》の横にいつの間にか特大のワニもどきが鎮座していた。低い唸り声を鳴らしてこちらへ寄ってくる。
「《武聖》を食べればどれくらい強くなれるのか。試してみたいわ、齧らせてもらうわね」
 ニタニタと笑う完全体《海坊主》に唾でも吐きかけてやりたい気分だ。俺は自由にならない体を気合で奮い起こし、剣を構えて立ち塞がる。三春をやらせはしない。
「……俺はゴメンだ」
 少女は笑ったまま目を細める。俺を見ながら嫌みったらしく口を開く。
「頑張るわね。足が震えているけど、大丈夫かしら?」
 俺は不適に笑ってみせる。ちゃんと口元が笑えているか不安だ。
「やせ我慢てぇのは格好良い男の必須条件なんだよ」
 と、見栄を張ったものの剣を振り回す余力は欠片も残っていない。足に踏ん張りをかけるだけで俺は一杯一杯だ。そんな俺を嘲笑うかのように、ゆっくりとワニもどきの口が、俺をくわえ込もうと体を横に捻る。真横から血に染まった牙が迫ってくる。
 俺は来るべき痛みに堪えるため、奥歯を強く噛みしめた。俺は剣を横に寝かせて両腕で抱えるようにして固定した。
 喰らいついてきた大顎は俺を挟み込む。鋭い牙が俺の腕を貫通してわき腹に先端を突き刺した。だが、躊躇いなく噛み付いてきたワニもどきの口内を貫き、俺の剣は脳天を串刺しにしていた。
 ワニもどきは黒い霧となって霧散する。俺の腕からはドクドクと血が流れていく。肉が塞がり皮膚が再生して傷を治そうとしているのがわかる。《武聖》様様だ。
「へぇ。驚いた」
 眼を丸くして完全体《海坊主》は声を漏らす。
「そうかい、それじゃあ……」
 その先を待っていたかのように、忍び寄る影の存在が続けた。
「……もっと、驚いてもらっちゃおうかしらねッ」
 マネキン人形の影から突如として長大な刃が伸び出る。突き出された刀の強襲は完全体《海坊主》の右腕を切り落とした。瞬時に身を引いた彼女は致命的な一撃だけは免れたのだ。
 しかし、襲撃者はそれだけで済ますつもりは毛頭ない。マネキンの影から飛び出した《影鬼》は跳躍して、天井を蹴る。《影鬼》、晴香は自分の間合いに完全体《海坊主》を捉える。刃の為す竜巻が完全体《海坊主》に襲いかかる。
 晴香が斬り込む間合いを計っていたのは気づいていた。だから、俺は完全体《海坊主》をひきつける役を買ったわけだ。これで三対一。だが、晴香の戦いぶりを見て俺は戦慄に凍ることになる。
 豪速の剣舞を完全体《海坊主》は左の掌で受け流す。間隙を縫って足技で晴香を翻弄する。恐るべき事に、圧されているのは晴香のほうだった。いつもの余裕ぶった表情は微塵もなく、額には焦燥の汗すら滲ませている。
 あっと思った瞬間には、晴香の体は宙に跳ね上げられていた。腹部に炸裂した前蹴りに彼女は短く悲鳴をあげる。どうにか体勢を整えて着地、俺の横に素早く移動してきた。
 完全体《海坊主》は追撃せず、切断された腕を影の中に入れて元に戻していた。どうにかして頭を潰すか首を切断しないと倒せない。
「晴香、アレに勝てるか?」
「無理ね……正直、ダッシュで帰りたい気分だわ」
 晴香らしからぬ弱気な発言だ。とは言え、そう愚痴りたくもなるか。こちらの相談事が終わらないうちに、完全体《海坊主》は攻撃を仕掛けてきた。三人は三人とも別の方向へ体を投げ出した。俺は右へ、三春は左、晴香は上へ跳んでから完全体《海坊主》の背後へ回った。
「はっはっはーーッ、いくよ、いくよぉ!」
 完全体《影鬼》の唸る掌はあらゆるものを引き裂いていく。こいつの正体は衝撃波だ。着飾ったモデル人形が粉々になり、並べられた衣服は細切れになって宙を舞う。至近距離で打ち合って一発でも体に触れれば命がない。
 俺たちは最低限の剣戟を演じるだけで室内をネズミのように逃げ惑うより他なかった。出来れば衝撃波除けの壁と仲間が欲しい。隙を作れれば首を落とすチャンスはある。
 となれば、ここにいても埒が明かない。
「外へでよう! 《戦闘竜六○三》が出動してくるはずだ、奴らに相手をしてもらう!」
 隠れている場所から横っ飛びに脱出する。さっきまでいた場所を破壊の風が駆け抜けていった。それに答える晴香の声が非常階段脇から聞こえる。
「機械なんかがこいつを捕まえられるはずないんじゃない? 注意をそらすことだってできないと思うけど!」
 完全体《海坊主》は腕を声のする方向へ向けた。見えない刃が駆け抜ける。
非常階段の扉がグシャグシャに潰れる。蝶番が外れて緑色の鉄戸が旋回しながら窓ガラスを突き破っていった。転がりでてきた晴香に執拗な衝撃波が浴びせられる。
「いち抜けたッ」
 真っ先に晴香が虚空へ身を躍らせる。外へ飛び出すと上を目指して跳ぶ。姿が見えないと思ったら三春はすでに脱出していたらしい。残っているのは俺だけだ。
「見つけたぁ」
 凍てついた声が響き頭上を超音速の刃が通り過ぎていった。最悪だ。逃げるタイミングを失ってしまった。乱射される衝撃波にもみくちゃにされていく。俺の姿を完璧に捉えた完全体《海坊主》は凄絶な笑みを浮かべながら飛び掛ってきた。
 苦し紛れにマネキン人形を物凄い速度で投げつける。当たれば骨の一つは砕けるであろう威力は無造作に放たれた衝撃波の前に粉砕される。まさに振り上げられた右腕が俺を掴もうとするとき。
 横合いから奇襲を仕掛けるものがいた。まったく予想外の攻撃を喰らって、完全体《海坊主》は残っていた窓を破って外へ落下していった。《影鬼》ってのは本当に後ろから攻撃するのが好きな奴らだ。ま、助かったのだけどさ。
「サンキュ、助かった……詩乃」
 俺を救い出してくれた命の恩人はどう致しまして、と断ってから言葉を付け足した。
「あとで、たこ焼きを奢ってちょうだいね」
 いつもなら難癖をつけたいところだが、彼女の軽口は今の俺にとって非常に安らぎの満ちた言葉だった。渋々といった口調でありながら俺は快く了承してやるのだった。
「好きなだけ食わせてやるぜ」
 傷ついた体を鞭打って神経を研ぎ澄ます。さて、面子は揃った。第二回戦の始まりだ。
 ガラスの飛び散った窓へ走り、完全体《海坊主》の姿を探した。高速戦闘形態の《戦闘竜六○三》が三機通り過ぎていった。重力制御システムだけでなく、搭載されたジェットエンジンも使用している。狭苦しい高層ビルの溝を凄まじい速度で飛び去っていく。音の突風にいくつかの窓ガラスが爆ぜ割れていく。
 彼らが追っている者は……居た。完全体《海坊主》だ。接近戦を挑む小隊と中距離を確保して援護に徹する小隊が交戦している。その戦力比は十二対一。戦闘竜六○三をそれだけ引き連れながら完全体《海坊主》は悠々としていた。
レーザーソードを振りかざす《戦闘竜六○三》をワニもどきで噛み砕き、空を焼く銃弾を器用にかわしながら空を翔けている。時折、振り返っては四方八方に衝撃波をばら撒いて戦闘竜たちを翻弄する。
「かなり速いわね、追うのも追われるのも辛そう」
 げっそりとした様相で呟く詩乃だが、俺はちょっとした名案を閃いていた。追撃戦に参加する戦闘竜小隊を呼び止める。通り過ぎようとした小隊長機が俺の立つ場所へ機体を近づける。
「なんでしょう、陽光さん」
「俺を背中に乗せて奴を追ってくれ!」
 一つ目のカメラアイを目まぐるしく動かして思案していた。俺の発言は電子頭脳を位置ずるしく困惑させるものであり、彼女はひどく混乱しているようだ。
「了承できません。風圧で落下する危険性があります。とても戦える状態では――」
 言いよどむ戦闘竜を黙らせて背中に跳び乗る。上部のマニュピレーターに持っていたレーザーライフルを奪い取る。もちろん、戦闘竜用の装備のため超巨大だが《武聖》の俺ならば軽々と扱える。戦闘竜のマニュピレーターは成人男性の手より若干大きく程度なので、トリガーは引ける。両手で支えれば狙いもつけられそうだ。
「上のマニュピレーターで俺を支えてくれよ。落ちたら痛そうだからな」
「……了解」
 小隊長は観念したのか。最後には命令を受諾する。
 詩乃を他の戦闘竜に乗せてやるように頼むと、戦闘竜の首筋を叩く。発進するように命じた。
 戦闘機の機首が倒され、俺の姿勢は前屈み気味になる。俺は両足でしっかりと戦闘竜の胴体を挟み込む。背後で聞こえた轟音と共に一気に加速する。突風が俺の全身を叩き、髪と服をはためかせる。
 鉄道の高架を潜り抜け、高速道路地帯に乱入する。道路内は避難が完了しておらず、走行する輸送トラックや車輌がいる。高速道路に侵入してくる戦闘機たちに驚いて慌てて車体を脇へと避ける。一般車輌を掠めながら浴びせられるレーザーや銃弾に運転手は戦々恐々としていることだろう。
 また戦闘機たちが追いかける者を見れば夢を見ているのではないかと己を疑うはずだ。先争って飛ぶ戦闘機群を引き連れるのは、三つの人影。閉塞された高速道路内の四面を駆使した激戦を繰り広げていた。
 衝撃波が道路の壁面を陥没させる。それを華麗に回避する晴香と三春を見た。完全体《海坊主》を晴香が主体となって戦い、ヒット&アウェイで連携するのは三春。意外にも二人のタッグは息が合っていて完全体《海坊主》をけん制していた。
「この速度と高度を維持してくれ……そのまま突っ込め!」
 小隊長機に命じて三人の戦場へ突貫させる。戦闘竜たちの攻撃が一撃も命中しないのはロックオン速度が追いつかないからだ。完全体《海坊主》の移動スピードは超絶の一言に値する。命中させるにはセンスと速度を終えるこれまた飛びぬけて優れた眼を必要とする。
 俺はさながら騎兵のようにレーザーライフルを槍代わりに構えて突き進む。完全体《海坊主》は接近に気がついてワニもどきを差し向けてくる。だが、俺が跨っている事までは気がつかなかったらしい。驚愕に眼を極限まで開いていた。
 正面に大口を開けるワニもどきにレーザーを連射する。上半身を丸ごと吹き飛ばされたワニもどきは消えてしまう。盾はなくなった。
「くたばりやがれッ」
 トリガーを引きながら叫ぶ。乱射するレーザー光が完全体《海坊主》の左足首を焼き潰し、立て続けの二発が胸と胴を刺し貫いていく。惜しい。あとほんの少し上ならば頭を潰せたのに。
 歯軋りしながら完全体《海坊主》の横を翔け抜ける。すぐさま方向転換させる。次の突進攻撃で仕留めてやる。爆発的な加速で完全体《海坊主》と正面からぶつかりっていく。
「いい加減うざったい……、私はすべての生物の頂点にあるべき存在なんだ!! 私に喰われるべきなんだよ」
 完全体《海坊主》は自分の影から複数のワニもどきを造りだす。全方位から攻め立てる攻撃を小隊長機は反応できない。舌打ちを漏らしつつ、俺は突撃を阻むワニもどきの群れに砲身を傾ける。そこへ白い噴射炎を引いたミサイルが殺到する。
「周りは任せておいてください。陽光くんを邪魔させません!」
 力強い三春の声に後押しされる。着弾の衝撃で視界を誇りが覆う、それを割って生き残っていたワニもどきが喰らいついてくる。
 低い重低音が聞こえ、ワニもどきの体に隙間なく大穴が穿たれていく。援護の方角へ顔だけ振り返る。晴香が両手に旋回式機関銃を携えて、こちらに向けてニッと笑いかけてくる。援護射撃は完璧か、頼もしい限りだ。
 俺はレーザーライフルを構えてからふと視界に入った。赤い明滅の表示。そいつは、くそッ、残弾エネルギーが少ない。あと、三発しかない。迫りくるワニもどきとそれを撃墜していく援護の嵐を飛翔する。鼓膜が破れそうになる音の中で俺は声を大にする。
「小隊長! 他に武器を携帯していないのか」
「残存武装は……レーザーソード、散布型防護炸裂弾、高圧電撃銃、です」
 どれも速射に優れた破壊力重視の武器ではない。ぜったいに三発で仕留めろという事か。好き勝手に撃ちまくっていた数秒前の自分を恨めしく思いながら、レーザーライフルを固く握り締める。頭だ。頭を狙えば……ッ。
 着弾煙と爆砕した道路の埃を脱する。目の前に完全体《海坊主》の顔があった。憎々しげに歪む双眸は俺を睨み据えている。俺が現れたことに対する憤りや突き詰められた事実を認められていない、そんな表情だ。
 トリガーを引き絞る。砲身が青白いレーザーを迸らせ、大気を焼きながら直進する。光の余韻を銃口に残して直線状のレーザー光が完全体《海坊主》の右手を消滅させる。
 二度目のトリガーに手を掛ける。俺は発射前に衝撃波が来る事を予測して機体を横に滑らせていた。十字に放たれる無音の風が過ぎ去っていく。避けられたのは僥倖以外の何者でもない。運が良かったそれだけだ。運のなかった後方に待機していた数機の戦闘竜が飲み込まれ爆散する。
 二度目の射撃。狙い済ましたレーザーが空間に焼きつけられる。完全体《海坊主》は頭を横にそらす。レーザーは奴の額を撫ぜて髪を焼ききるだけに留まった。あらぬ方角へ消えていく。
 完全体《海坊主》は会心の笑みをつくり、耳障りな哄笑をあげる。三発目を撃とうとして向けた砲身を握り潰して口を動かす。
「いただきます――ッ」
 奴の背中から特大のあぎとがせり上がり、俺の体に覆いかぶさってくる。俺は奴が笑っている間、言葉を紡ぐ間にも行動していた。鞘から抜いた剣を差し込む。凍てついて止まったように見える時間の中で、俺は必死で剣を前に突きこむ。黒い刃が完全体《海坊主》の小さな口元にズブリと差し込まれる。貫通した切っ先は喉を裂いて延髄を破壊していた。
 俺は剣を真横に払う。小さな頭が切り離されて宙に浮かぶ。最後に、俺は背中が反り返るほど振りかぶった一閃を完全体《海坊主》の胴体にお見舞いした。顎から股間まで一刀の下に両断する。
 ゆらりと小柄な体が傾き、黒い塵となって砕け散る。唸る風の猛威に塵は風の中に溶けていく。《海坊主》と呼ばれた生き物の姿はこの世から完全に消滅した。
 しばらくの間、誰も何も口を聞かなかった。銃撃と爆発が止み、静けさの中にあるのは推進器の咆哮と風の鳴る音だけ。静寂の後、俺を乗せている小隊長機が淡々と述べる。目の前で俺がやり遂げた事実を簡潔に言葉に直してくれた。
「脅威の排除を確認しました……任務完了です」
 その言葉に、俺はクタクタッと座り込んでしまう。乾いた笑いを漏らしつつほっと息を吐き出す。体は酷使したおかげで疲れきっている。三春も晴香も詩乃も同じだろう。彼女たちの姿を探せばもっと安心できるはずだ。
 足元の小隊長機に礼を述べてから三人娘の姿を探す。その姿を認め、手を振ってくる彼女たちに手を振り返す。そして、俺は戦友たちのいる場所へ戦闘機の背中から跳びたつ。
 ようやく、終わったのだ。これで《白姫浜新都心》の脅威は去った。平和なひと時に戻れるのだ。そう感じると、俺はほっと全身の力が抜けていき、心がやすまる思いだった。これで、本当に。こんどこそ、すべてが終わったのだ。

君の隣に影がある 第十四章

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