《白姫浜新都心》の混乱は続いているが、《戦闘竜六○三》シリーズが本気を出した事で若干の均衡が生まれつつあるようだ。《戦闘竜六○三》は市民を傷つけないように限定的な戦闘を心がけるようにプログラムされているのだが、現在、戦闘機たちは強力な武器を惜しみなく撒き散らし、建造物ごと《海坊主》を撃退していた。
四十ミリガトリング砲が《海坊主》を薙ぎ払い、ついでに背後の高層マンションも穴だらけにしていく。無数に穿たれた穴のせいでマンションが軋む。
極めつけは尾を引いて放たれたグレネード弾。《海坊主》の頭上で爆裂した威力でマンションは骨格を歪ませて崩壊する。
降り注ぐ瓦礫を器用に避けながら脱出する数機の《戦闘竜六○三》がいた。背中に数人の人を乗せて飛んでいる。応戦しながら救出活動にも専念しているのだ。
前衛で踏ん張る戦闘機を援護するように、空からミサイルが降り注ぐ。間断なく打ち込まれる円柱形の筒が炎を噴き上げる。視界が歪む業火が《海坊主》を焼き払っていくが、彼らは際限なく生まれ出でてくる。
俺は都立第七病院『跡地』を目の前に周囲に人影を探していた。病院は既に海中のようで四角い穴がポッカリと開いているだけだ。
正直、この場所にいるのかも怪しかった。だが、俺は必死に眼を凝らし、耳を澄ます。爆撃音と熱気が視界を阻み、探索を困難なものにしていた。黒煙が目に沁みるし、破壊の音が耳鳴りとなって俺の頭に激痛をもたらす。
俺はハッとして炎の海となった道路を見つめる。いま、何かが動いた。交叉さするシルエットが浮かび上がった。黒煙と炎を割って何かが上昇してきた。
「三春……ッ」
制服は熱と煙で燻っており端正な横顔には煤がついていた。俺の前方に位置するビルに着地した三春は俺を見ずに叫ぶ。
「加勢して! あと少しで倒せるッ」
疾風となって突っ込んでいく。その先に佇むのは、晴香だ。驚いた事に彼女は左腕をだらしなく下げて片手で長剣を握っていた。腕の骨を砕かれてしまったらしい。刀を奮うたびに苦悶に表情を歪めている。
こんな非常時にも馬鹿な事をしている二人に呆れ果ててしまう。どちらかといえば三春が悪いに違いないが、晴香にも責任はある。しかし、いまはそんな場合じゃないだろう。この燃え盛る炎の中に誰か生き残っている人が、助けを求めている人がいるかもしれないというのに。
殴り飛ばされた晴香がこちらへ吹っ飛んでくる。俺はその体を両手で抱きとめる。どこか泣き笑いの表情を浮かべている晴香をその場に下ろして背中に隠す。そんな俺に目掛けて憤怒の形相を貼り付けた三春が迫ってくる。
「陽光ッ、どきなさい!」
凄まじい気迫に気圧されそうになりながらも、俺はその場から動かなかった。問答無用で拳を繰り出してきた三春を受け止める。掌の骨が異様な音を立てる。拳を掴み取ると三春は振りほどこうと拳を引っ込める。そいつを俺は許さない。彼女は喚きながら腕を振り回していた。
「なんで邪魔をするの! 放しなさいッ!」
俺は何も言わずに三春の頬を張った。平手は見事に彼女の横っ面を引っ叩いていた。眼を見張ったまま押し黙る彼女に静かに話しかける。
「敵討ちはやめろなんて言わない。好きなだけやればいいさ、良かったら俺も協力してやる……だけどな!」
俺は爆発するように声を荒げた。
「いまはそんな場合じゃないだろう!? 回り見えてるのか!? 助けを求めている奴がいるだろ、お前に手を伸ばしている人がいるじゃねぇか! しかも、お前は瓦礫に埋まっている人を助ける力がある。炎に巻かれている人を救える。なんで助けないんだ!」
もちろん、こんなものは方便だ。俺の中でこんな風に考える一面もあるが、優先順位で書き表せば三番目に位置するくらいの大切さしかない。こんな言葉で説得できるとは思えないがいまは二人の争いを諌める事が先決なのだ。
三春は噛みついてきた。
「あなただって人のことは言えないでしょう! 戦闘竜から連絡があったわ、《武聖》相模原陽光は命令違反を犯したって。警戒態勢はあなたにも向けられているのよ。妹さんを助けるために、あなたが指示を無視したせいで、救われなかった人がいたわ。自分勝手なあなたに、他人のことを考えろだなんて……そんなこと言われたくない!」
優先順位は決まっているのだ。一番は何を差し置いても優先される。
「俺は一人しかいないんだ。助けられる奴がいるなら俺の手に届く範囲だけだし、どうせ守るなら妹を優先させる。誰を差し置いてもだ。でも、力の使い方は知っているつもりだぜ」
一息吸って、矢継ぎ早に言葉を捲くし立てた。
「お前は、いま、自分の力の使い方を間違っている。お前の力は敵討ちのために使うもんじゃない。誰かを守るために使うべきなんだよ!」
そんな飾り立てた言葉で説得しようというのは甘かった。疲れた表情で口元だけに笑みをつくる。唇が象る笑みは、嘲弄だ。瞳だけは悲しげに潤んでいる。
「……あなたに、私の気持ちはわからない。大切なものは全部その女に殺されてしまった。今度大切なものを手に入れてとしても、また……殺される。そいつは、殺しにやってくる。その女はここで殺す。絶対に殺すわ」
復讐鬼が告げるにふさわしい言葉だった。一言一言に怨嗟を込めて、吐息には怒りからくる熱っぽさが含まれている。
この勘違いさえなければ……ッ、抑えていた言葉が込み上げてくる。
「晴香がお前の両親を殺したのは――」
だが、俺の台詞は続けられなかった。
「陽光ッッッ!」
鋭い声が飛んだ。いままでにない絶叫じみた怒声に俺は喉の奥に言葉を引っ込めた。俺の肩に置かれた手には万力のような力を込められていた。
「晴香。お前も何か言えよ! お前が三春に思っていることを伝えればこんな馬鹿げた闘いは終わるんだ!」
そんな事はありえないとわかっていても、俺は叫んでいた。晴香がちゃんと説明すれば、俺が補足してやれば、三春の恨みは別のところへ向けられる。ぜったいにそうなると、ならなければいけないんだと言い聞かせた。
しかし、晴香は冷静だった。現実がしかと見えている。
「無理だよ。三春ちゃんは私の言葉なんて信じない。でしょう?」
三春に芽生えている強烈な負の意識は並大抵の事では払拭できない。彼女の瞳は憎悪を滾らせており、晴香を絶対の敵と見定めていた。
「ええ、信じない。信じられないわ」
晴香は俺の方を見やり、首を微かに傾げる。片目を閉じる。これは避けて通れないことなのだと俺に無言で諭していた。
「離れていて、陽光。すぐに決着はつく」
晴香は俺を突き放す。これ以上掛ける言葉を見つけ出せず、俺はフラフラと後ろに下がった。俺はどちらにも死んで欲しくない。二人ともとっても良い奴なんだ。とても魅力的で刺激のある性格をしていて……、俺にとって最高の仲間だ。
晴香は右手で長刀を斬りこみやすい形で構えた。首に右腕を巻くような形の姿勢をとる。眼には険しさと殺気が揺らめいている。
対峙するのは、三春。
荒々しい呼吸から緊張しているのがわかった。両腕を縦にして顔面を守っている。同時に、ジャブと渾身のストレートを放てる体勢でもある。《武聖》の拳の威力なら《影鬼》の顔面を砕くのも容易なことだ。
あのときの夜と違うのは、俺が傍観者である事。そして……どちらかが死んでしまうのではないかと言う漠然とした恐怖。俺は不覚にも泣き出してしまいそうだった。
二人の踏み込みの音が一際大きくこだました。
残像を置き捨てて両者は交錯する。光沢のある黒刀が振りぬかれ、拳の突きを撃墜した。三春の拳が砕けて血潮が噴き出す。しかし、打ち落とせなかった左の一撃は晴香の左頬を削いでいく。晴香の左耳は拳圧に引き千切れた。
双方の苦痛に呻く声を聞いて、俺は耳を塞ぎたくなるのを堪える。
三春は砕けた拳を引っ込めて体を前に押し込むように腰を回転させる。勢いのついた肘が唸りをあげる。彼女の空を裂く肘は長刀の腹を強く打った。肘打ちの重い一撃で長刀は半ばからへし折れた。先端が回転しながら宙を舞う。三春は拳を潰してまでして武器破壊を狙っていたのだ。
三春は勝ちを確信して口元を歪める。左足の中段蹴りを晴香に叩き込む。晴香は身を屈めてやり過ごす、だが、三春はそれを見越して滞空していた。宙で体を回転させて右足を高く持ち上げた。十分に力を溜めた踵落しが晴香の脳天目掛けて振り下ろされる。
三春の渾身の一発は屋上の床を砕いて、四方に亀裂を生じさせた。陥没したコンクリートが階下の部屋に崩れていく。
空振った!?
俺はその攻撃が避けられた事にだけ意識が向いていた。三春も同様に違いない。なぜ、晴香がいないのか。それだけしか見えていなかった。
だから背後に気がつかない。折れた長刀をかざす晴香を見落とした。晴香が奮った長刀の柄は、三春の延髄に命中した。抉り取るような一閃に三春はガックリと膝をつく。
気絶した三春はそのまま、顔面から床に倒れていく。その力なく萎れた体を晴香がしっかりと支えた。
「晴香……」
始めから晴香は殺すつもりなどなかったのだ。自分が殺されるかもしれないというのに、大した女だ。
「私は殺されるまで三春の面倒を見る。気に掛かるし、放っておけないし、嫌いじゃないからね」
晴香は俺に三春を託して、家に送り届けるように頼んできた。
「お前はどうするんだ?」
「逃げ遅れた人を助けてくるわ。一応、《白姫浜監督局》に話は通っているみたいだしね。撃たれたりはしないんでしょ」
当たり前だ。そんな奴がいたら一刀両断してやる。だが、詩乃の力なくぶら下がっている腕を見ると心が騒いだ。
「だけど、怪我してるじゃないかよ。お前も休んだほうが」
晴香はちっちっちと指を振って、自分の体を影の中に沈める。そして影の中から浮かび上がってきた。彼女は何事もなかったかのように軽やかなステップを踏み鳴らす。折れていた腕は綺麗にくっつき、欠けていた左耳は元通りになっていた。
《武聖》の異常回復量とは質の違う身体能力だった。便利でもあり不気味でもあるが、いまは前者の意見を支持しておこう。
「《影鬼》は怪我しても影の中に入れば完治するのよ」
晴香は戦闘の続く市街地を睥睨したのち可愛らしく手を振る。行くつもりらしい。疲れているはずなのに、忙しない人だ。
「三春ちゃん、お願いね。ちと強くやりすぎちゃったから一日くらい寝てるかもしれないからちゃんと見てるんだよ」
親愛の情を滲ませる晴香に、俺は任せろと、大きく頷いてみせる。彼女の優しさをいつの日か三春は知ることが出来るだろうか。そして、晴香も真実を三春に伝えられるだろうか。
もしかすると、真実は別の口から伝わってしまうかもしれない。どのみち三春に衝撃を与える事になるのは確かなんだ。その衝撃を少しでも和らげてあげられるのは、三春をよく理解できている人物だろう。そして彼女を大切に想っている人に違いない。その立場にもっとも近いのは、晴香なんだ。
俺は心の中で女の《影鬼》に囁きかけた。