俺と三春が返り討ちにあったと聞いて、綱島さんは真夜中にもかかわらず大声で笑っていた。周囲の建造物の防音設備は完璧なんだろうが、気に食わないことには違いない。ぶすっとした口調で文句をつけておく。
「強いとは思っていましたけど、あそこまでとは思わなかったんですよ」
散々からかわれてから綱島さんは次なる言葉で締めくくる。
「まぁまぁ良かったじゃないか、生きてかえってこれて。三春が晴香にやられた回数はこれで通算二百回目だな。君はその奇跡的瞬間に立ち会えたということだ。もっと喜びたまえ」
肩を震わせながら綱島さんは歩いて行く。ここは《白姫浜監督局》の施設ではなく、《居住区画》の高級高層マンションのある地区だ。煉瓦を敷き詰めて樹木を植えた散策路や駐車場。高性能なセキュリティシステムに武装した警備員つきという、超豪勢なマンションだ。それの最上階に三春は住んでいるらしい。
俺は三春をどこで休ませたら良いのかわからなかったので綱島さんを頼った。すると、綱島さんは三春の後見人ということで家の合鍵を持っていることを知ったのだ。部屋に連れて行ってもらおう三春を置いていくと、「か弱い女性の研究者兼職員をこんな真夜中に歩かせるのかね?」、とエライ説教を加えられた。そんなわけで俺は三春を背負いながら彼女の家まで歩いているわけだ。
「綱島さんが後見人、と言うことは。三春に親類・親戚は一人もいないってことですか?」
「そうだ、可哀想なことにな」
家族を殺されて、そして《影鬼》を追う。三春の行動は自然なもののように思えるが、かなり異常だ。《影鬼》に家族を殺される人間は数多くいる。敵討ちをしようなどと考える人間はほぼ皆無と言っていい。家族を殺した《影鬼》に出会える確率が低いこともあるが、なにより、自分の命が常に狙われているというのにそんな暇はない。
三春は自らが《武聖》になったから、家族や親戚を殺した《影鬼》を倒そうと思いたったのかも知れないが……。まさかと思うが、家族や親戚を皆殺しにしたのは久留米晴香だとでもいうのだろうか。ありえない、いくらなんでも《影鬼》がそこまで無節操な殺人を犯すはずがない。
だが、俺はそれ以外に三春が晴香に対して執拗になる理由が思い浮かばなかった。おそるおそる口を開き、訊ねた。
「あの、久留米晴香って……《影鬼》が、殺し、たんですか……親戚とか、全員」
「そうだ」
綱島さんはあっさりとそれを認めてしまった。
身元引受人となる親戚縁者をすべて殺すとなると、いったいどれほどの数になるというのか。《影鬼》に殺されてしまう人を除いたとしても、十人以上はいるだろう。それを一人で。
あっけらかんとした晴香を見てきたばかりでそれを想像するのは難しい。だが、俺を殺した時の殺気からすればありえないとはいえない。しかし、なんだって本人を殺さないのか。気に入っている、とまで言っていた。どうしてなのだろう?
そうこうしているうちに、綱島さんと三春を背負う俺は部屋の前に到着した。最上階の部屋は『二階建て』となっている。ここに一人ですんでいるとはお嬢様だな、とつくづく思ってしまう。
カードキーを差し入れて扉を開く。鉄と鉄のかみ合う音が鈍く響き、綱島さんは扉を開く。閉まろうとする扉を押さえながら中に招き入れてくれた。カードキー式なのに外開きの扉というのも不思議な感じだ。
綱島さんは照明スイッチを探して部屋の壁をまさぐっていた。後見人と言うからにはこの部屋は熟知しているものだと思っていたので意外だった。その俺の認識に綱島さんは探し当てた照明スイッチを入れながら説明してくれる。
「私は合鍵を持っているが、めったにここには来ない。後見人というのも形式上の事で、彼女が多額の金銭を動かしたいときに保証人として名前を貸す程度の関係に過ぎない。横須賀君は自活しているといっていいだろうな」
明かりがつくと室内の奥まで一挙に視野が広がる。玄関を上がり中へ進んでいくと、すぐに自分の家とは違う生活臭に緊張した。女の子を含めた女性の部屋に入るのは初めてだ。心躍らないといえば嘘になるな。
三春のベッドがあるのは私室らしい。そこまで押し入るのはさすがに気が引けた。いまだって十分に腰が引けているが、辛うじて許容範囲だ。
もちもちとした柔らかさが魅力的なソファに三春を優しく横たえる。ソファはしわ一つなく、並べられたクッションは清潔な日向の匂いがした。部屋には汚れらしいものはなにひとつなく、居間から覗けたキッチンには洗い物も残っていない。いつ誰が来ても恥ずかしくないように整頓されているのであった。
綱島さんはそのキッチンに穢れを持ち込んでいた。勝手にコップを出して、棚に置かれていたコーヒーを注いでいた。厚かましい人と言うのはどこにでもいるもんだ。この人の家に行くと部屋の汚さに驚き、ついで部屋を掃除させられるような気がする。あくまで勝手な想像だったが……俺の頭の中ではリアルに描く事ができた。
失礼な事を頭に浮かべつつ、あくびをかみ殺す。時計を探して部屋を見渡す。時刻は二時半か。時計の横に視線が動いたのは偶然だった。居間の時計の横、テレビの上に写真が張ってある。コルクのボードに画鋲で止められているのだ。
なんの変哲もない家族写真ではない事に、俺はすぐに気がついた、興味本位でその写真をしげしげと眺める。大人の男女に挟まれる小さな黒髪の少女。おそらく三春のもっとも幼い写真と思われる。この頃はまだ刃のような視線ではなかったわけだ。
黒髪の少女は写真の中で大人になっていく。一枚ごとに彼女は成長していく。真ん中に立つのは少女であるが、その傍らに写る人は次々と変わっていく。その数は……二十人以上。そして今からそう遠くない過去に取られた写真に俺は釘付けになっていた。
黒髪の少女は艶やかな髪を腰まで伸ばしていた。黒い瞳は無表情でそこか攻撃的なものを含んでいる。背丈は今と変わらないだろう。
「久留米……晴香…………」
俺は口に出していた。
似ている。怖ろしく似ているのだ。まったく同じだった。この写真に写っている三春と思われる少女は、久留米晴香そっくりだったのだ。
ふぅ、と背後でため息が聞こえる。
振り返れば綱島さんが立っていた。その表情は暗く、重い。俺は気づいてはいけないことに気づいてしまったのかもしれない。いや、それは違うか。ここへ誘導したのは綱島さんだ。どちらかと言えば気がついてもらいたかったのか。
「まぁ、君は見つけてしまったようだからな。私が知る限りの事を教えてあげよう。それを聞いてどのように動くかは君の判断に任せる」
綱島さんは居間にある椅子を引っ張り出して座る。俺も傍にあった背もたれのない丸椅子に腰掛けた。
「聞きたいかね?」
「当たり前でしょう。そこまで話を振られて聞かないなんてアホな事はしません」
カップにチビチビと口をつけながら綱島さんは話を始めた。
「さて。最初に言っておく事はだな……、この私が君にこの話をしたことは秘密だ。もし、横須賀君から追及されたら君を殴る。わかったかね?」
綱島さんはおっとりとした口調でありながら、最後だけは凄みをつけてきた。他人のプライバシーに関わる事だからな、慎重にもなる。俺は一も二もなく了承した。
「まず、久留米晴香は、横須賀三春の《影鬼》である。この事に君は気がついた」
三春を見て、春香を見て、あの写真を見れば気がつかないほうがおかしい。だが初対面で個別に見ればわかるまい。三春は髪を短くしているのでパッと見ただけでは、晴香と同一人物かはわからない。雰囲気が違いすぎる事もその一つだろう。言われてからようやく気がつける。
「久留米晴香が《影鬼》として姿を現すのは、横須賀君が十二歳の頃だ。同時期に久留米晴香は、三春の両親を殺す」
《影鬼》は人間が生まれながらに持つものだが、生物として動き始めるのは高学年の小学生から中学生の間だ。このときから、《影鬼》は自由になろうと人に襲い掛かってくる。
「両親を殺した時に三春はなにをしていたんです?」
「眠っていたらしい。朝起きた時、隣の隣室は血塗れだったそうだ」
夜間の活動というわけか。《影鬼》は人間から離れるまでは『影』の状態から『実体化』する時間が限られている。個人差があるようだが、まぁ……一分から五分程度だ。『実体化』の時間は《影鬼》が自由に決められる。
「それから横須賀君は転々と引き取られていくことになる。引き取った人物は次々と殺されるのだが、何故か引き取り手はその事実を知っても快く引き受けるのだ」
「て、ことは……遺産ですか」
三春がこれだけの家に住んでいるということは、親から相続した遺産は相当なものなのだろう。親族がそれに飛びついたとしても無理はない。
ところが、綱島さんは首を振る。
「残念ながら世の中はとても温かいのだよ、相模原君。君はテレビの見すぎだ」
綱島さんは、くっくっくっと喉を鳴らしていた。
「横須賀君は親戚の人たちともよく会っていたらしくてね。仲が良かったらしい。むしろ、彼女の方が危険だから施設に入れてくれと懇願したそうだ。最後の方では彼女自身、半狂乱を通り越して無気力になっていたようだからな」
気が狂いそうにもなるだろうな。自分を助けてくれる人が次々と自分のせいで死んでいくのだ。彼女の焦燥した姿が頭に思い描かれる。
布団を被りながら自分の《影鬼》をジッと、見据えている。眠るわけには行かない。叔父さんたちには寝室に鍵を掛けるように言っているが、そんなもの刀で抉じ開けてしまえばすぐだ。
眠い瞳をこすりながら夜を過ごす。眠ってはいけない、眠ってはいけない、と自分を戒めながら気がつけばまどろみの中に沈んでいる。悲鳴をあげて飛び起きる。自分の《影鬼》を探して、目の前にいることを知って安心する。
しかし。自分の気力を使いきり、眠り込んでしまう。朝の日差しで眼が覚めると自分が寝入ってしまった事に気がつく。叔父さんは……ッ!?
ベッドから飛び出して部屋から一歩踏み出す。ズルリと何かに滑ってしまいしたたかに背中を打ち付ける。痛みに呻きながら見る。あたり一面の血の痕。そして掌にべったりとついた血の滑り。
考えれば考えるほどに想像上の三春を作り出すことが出来た。
「最後に引き取った親戚を殺して縁者はいなくなった。そして、《影鬼》久留米晴香は、横須賀三春から自然と離れていった。同時に、横須賀君は《武聖》になったのだ。それがいまから三年前の事だ」
そこに疑問がいくつか残る。その一つを口に出した。
「久留米晴香はどうして自由になれたんですかね? 人間を殺さなくても自由になる方法があるのか……」
綱島さんは少しだけ得意そうに言葉を連ねる。研究者の瞳が光っていた。
「まだ推測の域をでないのだが、《影鬼》に変化が見られるのだ。非常に微細なものなのだがね。久留米晴香は変化を受けた《影鬼》、突然変異体なのではないかと私は考えている」
綱島さんはそこで話を区切る。湯気を立てているコーヒーをすすった。
「これで私の話は終わりだ。君が横須賀君を哀れに思うならば復讐に手を貸してやるといい、納得できないならば別の事実を追いかけてみてもいい。もしかすると、『真実』に到達するかもしれない。それは君の自由だよ」
時刻は三時を回ろうとしている。いい加減に眠らないと明日起きれないな。そう考え付いた俺は綱島さんに辞去の言葉を残して三春の家をあとにした。
マンション最上階から俺は高くジャンプする。家まで電車を使わずに早く帰れるというのは楽でいいものだ。なにせ三春のマンションと俺のマンションは十二駅も離れている。無人の列車は一時間に一本の割合で運行していたが、そんなものを待っていたら夜が明けてしまう。
月の浮かぶ夜を跳びながら俺は思考をめぐらせていた。
残った疑問は、久留米晴香がどうして親戚縁者を皆殺しにしなくてはならなかったか、だ。これは本人に聞くより他ない。俺は三春の復讐に手を貸すつもりは一欠けらもない。残された選択肢は『真実』を追うこと。
「真実か。なんだか、楽しくなってきたな……」
俺は不謹慎ながら呟いてしまう。《武聖》になってからは毎日が劇的過ぎる。明日死んでも悔いはない、と言えてしまうくらいに俺は充実していたのだ。